あなたは、人の世の出世ごとに関しては巧妙な計画を立てられるのに、情熱の問題では駄目なのね――、バルザックの『ふくろう党員』の一節より 
 

 ねえ、あなた――、と家内が部屋にやってくる。

 不思議なもので、連れ添った時間がそれなりに長くなると、この“ねえ、あなた”の抑揚で、何を言い出すのかがだいたいわかるようになる。発音がフラットなときは何か手伝えと言うことが多く、あなたの“た”が“たッ”になっているときは家内の機嫌が悪いときか私が怒られるときだ。

 ねえ、あなたぁ、と語尾が甘ったるく伸び気味のときはたいへんな注意が必要で、夏物の洋服が欲しいとか家電製品を買い換えたいとかとても素敵なバッグを見つけたとかどこそこに食事に行きたいと言い出す確率がエネルギー充填一二〇%で、とっくにあふれ出している。

「ねえ、あなたぁ」
 「ダメだ」

 最近では、あなたぁと言われた瞬間に、条件反射で返せるようになった。

「まだ何も言ってないじゃないの」
 「どうせあれが欲しいこれが欲しいどこかに連れてけと言うんだろう」
 「あら、どうしてわかっちゃったのかしら」

 わからいでか。

 ねえ、あなたぁの“たぁ”の音階が下がるときは、何かしでかしたときだ。たとえば、フランスで買って私が大切にしていたガレのランプに掃除機の柄をぶつけて割ってしまったとか、私が大切にしていたビデオの上に金曜ロードショーで放映した“宮崎アニメ”を重ね撮りして消してしまったとか、千疋屋で五〇〇〇円もした琵琶を私が留守のあいだにひとつ残らず食べちゃったとか、テーラーで仕立てた一着ン万円のワイシャツを他の洗濯物と一緒に洗ったら色落ちして“斑模様”にしちゃったとか、全部実話なのがとても悲しいのだが、こーいうことをしでかしたときに家内の“あなたぁ”は低くなる。