医者はカネの話をしてはいけないのか

 当時、86年から90年代前半といえば、世の中がバブルに沸いていた頃ですが、そんなわけでおカネとは無縁の生活を送っていました。

 そして、バブルの余韻が残る93年、関東の病院に移った私は「浦島太郎」の気分を味わうことになったのです。

 昼休みになると、同世代の医者たちがやおら「会社四季報」を開き、盛り上がっている。「この株がいい」とか、「このあいだ買った土地の値段が倍になった」という会話がもれ聞こえてきます。最初は何の話をしているのかもさっぱりわからず蚊帳の外。カネ儲けの話をしていると知った時には、「えっ、医者がそんな話をしていいの?」と心の底から驚きました。

 昼休みが終われば、精神科医として生活に困っている患者さんたちに向き合わねばならないのです。「さっきまで1億円、2億円の土地の話をしていながら、家族4人で数千円の食費でやりくりしなければならない患者さんを診られるのだろうか」。そんな義憤めいた思いに駆られたりもしました。

 よくよく考えるに、どっちもどっちです。

 北海道の病院のように、コストを度外視した理想主義も行き過ぎでしょうし、勤務中の昼休みに投資に夢中になっていた医師たちもどうかと思います。

 では、自分はどうあるべきか。カネの話をするべきか、せざるべきか。医師としての職業倫理や作家としての主義主張と、どうバランスをとっていけばいいのか。メディアを通して貧困などの社会問題にモノ申すようになってからは、とりわけよく考えるようになりました。

 そんなふうに揺れ動きながらも、おカネからは一定の距離をとるべし。そんなスタンスに定まっていったように思います。