ベストセラー『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』が話題の山口周氏。「アート」「美意識」に続く、新時代を生き抜くキーコンセプトをまとめたのが、『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』だ。
これまでの労働市場では、「問題を解消できる人材」が高く評価されてきた。しかし今は、「解決能力が過剰」な時代だ。正解がコモディティ化すると、答えに大差がなくなるため、「正解を出す力」は急速に価値を失う。代わりに価値を増すのは「問題を発見する力」だ。社会構造やテクノロジーの変化にともない、今後、活躍できる人材=「ニュータイプ」の思考・行動様式とは、どのようなものか? 本稿では同書から一部抜粋して、特別公開する。

【山口周】今後は問題を「解決」できる人より、<br />「発見」できる人の価値が増す

【オールドタイプ】問題が与えられるのを待ち、正解を探す
【ニュータイプ】問題を探し、見出し、提起する

問題は少なく、解決能力が過剰な時代

コンピューターなんて役に立たないね。あれは答えを出すだけだ(*1)。――パブロ・ピカソ

 これまで長いこと、私たちの社会では「問題を解決できる人=プロブレムソルバー」が高く評価されていました。原始時代以来、私たちの社会は常に多くの「不満」「不安」「不便」という「問題」に苛まれており、これを解決することが大きな富の創出につながったからです。

「寒い冬を凍えることなく過ごしたい?」ストーブをどうぞ! 「雨に濡れずに安楽に遠くまで移動したい?」自動車をどうぞ! ということです。

 しかし今後、このような「問題解決に長けた人」はオールドタイプとして急速にその価値を失っていくことになるでしょう。

 ビジネスは基本的に「問題の発見」と「問題の解消」を組み合わせることによって富を生み出しています。過去の社会において「問題」がたくさんあったということは、ビジネスの規模を規定するボトルネックは「問題の解消」にあったということです。

 だからこそ20世紀後半の数十年間という長いあいだ「問題を解ける人」「正解を出せる人」は労働市場で高く評価され、高水準の報酬を得ることが可能でした。しかし第2回で説明した通り、このボトルネックの関係は、今日では逆転しつつあります。つまり「問題が希少」で「解決能力が過剰」になっているということです。

 ビジネスが「問題の発見」と「問題の解決」という組み合わせで成り立っているのであれば、今後のビジネスではボトルネックとなる「問題」をいかにして発見し提起するのかがカギになります。そして、この「問題を見出し、他者に提起する人」こそがニュータイプとして高く評価されることになるでしょう。

 一方で、過剰である「問題の解決」に対しては今後、これまでのような評価も報酬も与えられないということになります。つまり、これまで高く評価されてきた「問題解決者=プロブレムソルバー」はオールドタイプとして急速に価値を失っていくことになる、ということです。そのような変化を示唆する象徴的な現象はすでにそこかしこに見ることができます。

減少するMBA志願者数
――「正解」はコモディティ化している

 たとえば2018年の10月、ウォール・ストリート・ジャーナルはアメリカにおけるMBAへの応募数が、4年連続で前年割れしていることを報じました。同紙によれば、ハーバードやスタンフォードなどのエリート校も含めて応募数は減少傾向にあり「Degree loses luster=学位としての輝きは失われた」というのです(*2)。一体何が起きているのでしょうか?

 言うまでもなく、経営大学院という学校は、経営における問題を「解決」するための技術や知識を体系的に学ぶ場所です。しかし、第2回ですでに指摘したように、正解がコモディティ化していく世界において「正解を出す能力」が高く評価されることはありません。

 なぜなら、仮にある個人や組織が「正解」を出すことができたとしても、その「正解」は他の個人や組織が出すものと変わらないからです。経営というのは本質的に差別化を求めますから、たとえそれが論理的な「正解」であったとしても、経営の文脈ではそれは「良い答え」ではないのです(*3)。

 MBAという学位を保有している人が相対的に希少で、市場に多くの不満・不安・不便といった問題が山積していた20世紀の後半であれば、MBAホルダーは労働市場で高く評価され、高額の報酬を得ることができたでしょう。

 そのような状況を見た人々がMBAという学位の経済的価値を認め、ビジネススクールの門を叩くことでMBAホルダーの数は中長期的には増加したわけですが、その結果として、ビジネスにおける問題解決の能力は現在、供給過剰の状態に陥りつつあります。

 財の価値は需要と供給のバランスで決まることになります。問題が希少化する世界で、問題解決の能力が過剰に供給されれば、「問題解決の能力」の価値が減少するのは当たり前のことです。このような時代になりつつある中、いまだに「正解を出す能力」にこだわり続けるオールドタイプは、急速に価値を失っていくことになるでしょう。

(注)
*1 "Computers Are Useless. They Can Only Give You Answers," Quote Investigator, November 5, 2011, https://quoteinvestigator.com/2011/11/05/computers-useless/
*2 https://www.wsj.com/articles/m-b-a-applications-keep-falling-in-u-s-this-year-hitting-even-elite-schools-1538366461
*3 このような指摘をすると短兵急に「もう経営学の時代は終わった」と断じる人(断じたがる人)がいるが、筆者はまったくそのようには考えていない。「学位の価値」と「学問の価値」を混同しないように注意する必要がある。筆者は、むしろ経営学という学問の本質的な重要性は今後、ますます増していくだろうと思っている。