来日は「タレントビザ」 職場はフィリピンパブ

 近年、フィリピン人が日本に入国する際の規制は非常に厳しくなっている。

 たとえば、その多くを占める「興行(タレント)ビザ」での入国者を見れば、2000年代前半には年間8万人以上にもなったフィリピンからの入国者は、現在までに数千人程度まで激減。テレビニュースや新聞でも、定期的にフィリピン人の不法滞在者の摘発が取りざたされている。

 しかし、それでも「うちは前から結婚に切り替えていたから余裕」と語るのは、高齢で引退した先代からこの生業を継いだという2代目プロモーターだ。

 フィリピン人の多くが来日の際に取得した「興行(タレント)ビザ」。このビザは本来、繁華街やホテルなどのパブで歌や踊り、バンド演奏などをみせる「タレント業」に従事する外国人を対象として発行されたものだった。

 タレント業を目的としたフィリピンからの出稼ぎが本格的に始まったのは、1960年代からのことである。しかし、タレント業という建前は徐々に有名無実化し、実際にはホステス業が行なわれるようになり、「フィリピンパブ」が成立した。

 この現象は、1980年代以降、日本がバブルに沸いていた時代には都市部を中心として。そして、バブル崩壊後には地方都市へも派生していった。「事実としてあるもの」とのあいだに存在するジレンマを常に抱えつつも、「あってはならぬもの」は日本の末端にまで浸透していったのだった。

 しかし、1990年代半ばから状況は変わっていく。

 フィリピン人のみならず外国人総数が急増するとともに、その実数が、あるいはそれ以上にイメージだけが膨張するなか、外国人犯罪が社会問題化されていった。さらには、「途上国の女性を搾取している日本は人身売買国家だ」という国際的な批判のなか、当局が積極的に「タレントビザ」を摘発するようになった。そして、先に示した「あってはならぬもの」の明らかな減少が訪れたのだった。

 現在でも「あってはならぬもの」は存在し続け、漂白される。もちろん、全てがそうだと言うつもりは全くない。だが、日本に渡りたいと希望するフィリピン人と、糊口をしのぐ手段にそれを求める日本人。双方の利害が一致することで成り立つ「偽装結婚」が、その一つの手段となっているのは確かだ。