グリーンスパン元FRB議長「保険としての利下げ」を実行した先例として名前が挙がるグリーンスパン元FRB議長だが、それが後のバブル発生と崩壊につながったという指摘も多い Photo:Steven Ferdman/gettyimages

 7月5日の朝に筆者は、米ワシントンのホテルでテレビの経済番組を見ていた。6月の非農業雇用者数の発表が生中継で行われようとしていた。8時半に22.4万人という数字が飛び出してきた。市場予想を大幅に上回った。前月は7万人台だったので大きなリバウンドだ。

 米経済はまだ失速には至っていないことが示された。本来ならスタジオ内の女性キャスターや株式市場関係のコメンテーターたちが喜んで「ハイタッチ」しても不思議はない状況だ。ところが、画面内の様子は全く異なり、どよ~んとした空気が漂っていた。

 キャスターの顔には明らかに「迷惑な数字が出てしまった」という表情が浮かんでいた。コメンテーターも困った顔をしていた。「7月のFRB(米連邦準備制度理事会)による利下げの確率がやや下がったかもしれません」と彼が述べると、キャスターは「市場は100%織り込んでいるんですよ、そんなことがあっていいんですか!」と食い付いていた。

 妙なことになっている。この人たちは弱い経済指標が出た方がうれしかったらしい。その方がFRBの利下げが確実になって株価が上がると期待したようだ。同様の心配が株式市場にもあったが故に、7月10~11日の議会証言でジェローム・パウエルFRB議長が今月の利下げを事実上確約するかのような発言を行ったことを受け、株価は急騰。最高値を更新した。

 FRBは、今の米国経済は堅調だとみているが、米中貿易戦争など世界経済を取り巻く不確実性を心配して、「保険」としての利下げを行おうとしている。もしその懸念が先行き現実になったら、パウエル議長の判断は「英断だった」と称賛されるだろう。

 しかし、逆に米中対立が和らいだら、利下げは「保険の掛け過ぎ」だったということになる恐れもある。少なくとも来年11月の大統領選挙までFRBは利上げを実施できない可能性が高い。そうなると、米国のあちこちで金融緩和の行き過ぎによる不均衡(バブル)が膨れる恐れがあるだろう。

 FRB幹部は「保険としての利下げ」の先例として、アラン・グリーンスパン元議長が1990年代に行ったケースを挙げる。しかし『グリーンスパン 何でも知っている男』(セバスチャン・マラビー著)は、彼の「保険としての利下げ」によって市場ではむちゃなリスクテイクが横行し、それがバブルの膨張と破裂につながっていった経緯を描写している。

 市場がFRB議長を「守護天使」と見なし始めたら危険といえる。グリーンスパン氏の失敗は、市場や国民からの尊敬が心地良くなり、その期待を裏切れなくなってしまったことにあった。

 米誌「バロンズ」(7月8日号)に、「FRB対市場:金利政策を本当にけん引しているのはどっちか?」というコラムが載っていた。

 米国の家計が保有する株式は年々増加。昨年第4四半期の株価下落と今年第1四半期の上昇によって発生した家計のネット資産の変動は、1940年以降の上位1位と2位を占めるという。家計の可処分所得に対するネット資産の変動率は30年前(グリーンスパン議長時代)の2倍にもなっている。

 FRBが株式市場を失望させる政策判断を行うことはグリーンスパン時代以上に難しくなっている。市場は現在「パウエル・プット」を大歓迎しているが、パウエル議長がこの先それに安易に迎合することがないか注意深く見ていく必要があるだろう。

(東短リサーチ代表取締役社長 加藤 出)