相手を決めつけるのは、自分の弱さ

大人たちが目指してきた幸福の形では、<br />もう幸福になれないと若者たちは気づいている<br />【本田直之×ジョン・キム】(後編)

キム 選択をすると、必ずそれに基づく結果が生まれます。問われるのは、その結果に対して、自分でしっかり責任を取れるか、ということだと思うんです。“新人類”だって、新しいチャレンジや転職をした人もいたかもしれませんが、大企業で勤め続けた人もいた。何かがあって選択したら、その代償は自分にあるということを明確に認識した上で選択すれば、後悔をすることはない。

 そもそも選択は、不確実性があるから必要になるわけです。未来が見えたときには選択はいらない。自分がコントロールできる部分、計算できる部分は計算して、あとは自分を信じて、実践して、その結果に対して真摯に受け止める。

 いい、悪いでもないと思っています。結果を受け入れて、次の学びや成長につなげていく。そういうサイクルを回すことができれば、どんなチャレンジでも意味があるし、どんな実験でも意味がある。たとえ、思うような結果にならなかったとしても。

 人生は一回しかない。でも、何かを一度、選択したらそれで終わり、というわけではない。選択と努力と結果。ずっとそのサイクルは回っていく。もし、一度うまくいかなかったとしても、次に生かせばいい。頑なになるべきではないですね。

本田 ずっと若者を褒めていますけど、これだけは守ってほしい、ということがあるんです。それは、人生の先人に対して、ちゃんとリスペクトするということです。親や先生、就職課の人、上司たちは、いろんなことを言う。それは、僕らが言うことと違うかもしれないし、納得できないもの、自分たちにとっては楽しくない古い価値観かもしれない。

 でも、だからといって、最初から全否定すべきではない。無視したり、バカにしたりしてはいけない。それもひとつの生き方だし、あなたのことを思って言ってくれているわけだから。だからリスペクトをしてまずは耳を傾ける。その上で自分はこれがいいんだと思ったらその道を進むべきであって、最初からとにかく反発するというのでは、人間として得することはひとつもない。

キム まずは人や物事を、ああだ、こうだ、と最初から決めつけないことですよね。『媚びない人生』にも書きましたが、自分にとっての不合理や不条理は、相手にとっての合理だったりするわけです。だから、相手がどんな人であっても、いくつであっても、一度は包み込んであげる。合理を語る彼らの話や考えを理解する努力を自分もしたか、と問う。そうでなければ、自分の合理も受け入れられるはずがないんです。

 もし、相手の話がどうしても理解できなかったとしても、そこから自分は何を学べるか、という姿勢でいるべき。学びを与えてくれた相手に、感謝の気持ちを持つ。そうすることで、何らかの肯定のオーラが出てくる。これが相手に伝わると、相手が自分に対する姿勢、態度が変わってくる。そういう経験が、僕には何度もあるんです。

 人間というのは、常に変容可能です。その変化は、自分の力で生み出すことができる。ポジティブな気持ち、相手を理解しようという気持ちで接していくと、関係はポジティブに変わる。自分からネガティブなオーラを発するのは、まったく意味のないことですね。

 相手を決めつけるというのは、ある意味、自分の弱さだと思ったほうがいいと思います。人間は、よくわからないときに決めつけたがるものだから。相手を判断し、理解する努力を本当にしたのかどうか。自問したほうがいい。それで、誰との関係性も大きく変わると思う。