経験に裏打ちされた経営ビジョンにより<br />創業わずかで五指に入る翻訳専業会社へ<br />アラヤ社長 中嶌重富Photo by Ryuzo Minemura

 56歳──。中嶌重富がアラヤを起業したのは、一般的に言えば定年近い年のころ。しかし、輸出製品の取扱説明書(取説書)などの翻訳専業会社を立ち上げ、いまや翻訳者・校正者500人と契約、300社以上と直接取引を行うまでに規模を拡大させている。

 翻訳専業会社としては、実に国内4番手。ここまでこれたのは、型破りな経験を積んできたからだ。

 高校を卒業してすぐ銀行に入行したが、それ自体、突然決めた道だった。自分でも当然、大学に進学するものと思っていたのだが、ある日、父親と大げんかし、「世話になるのは嫌だと思い」就職したのである。

 なぜ銀行だったか。中嶌の通う普通高校には就職する男子生徒などいなかったから、相談に応じた先生が「女子生徒の多くが就職していた銀行くらいしか思い浮かばなかったんだろう」。

 ただ、高校2年生のときに亡くした母親が「銀行員にしたい」と呟いていたのを思い出し、それも「いいな」と思ったのだという。

 幸い仕事は楽しく、順調に銀行員生活を送っていたが、神保町支店で課長職に就いたころ、驚きの事態が起こる。かつて勤務していた蒲田支店の取引先の学習塾が、支店を通して銀行の人事部に「中嶌さんが欲しい」とスカウトしてきたのだ。

 このとき、まだ36歳。後に疑いは晴れたものの、「自分で売り込んだのではないか」と、銀行で大問題になった。

 しかし、学習塾からのラブコールは猛烈だった。何より中嶌自身、「銀行の仕事は画一的。役員として一般の会社を経営するほうが銀行の支店長になるより魅力的に思えた」のだという。

 銀行との協議の末、銀行に籍を置いたまま、その学習塾に役員として4年間勤務。経理の責任者として採算が取れない塾を閉校するなど、喫緊の課題を解決した。

 ただ、落ち着いてくれば当然、銀行に戻すという話が出てくる。しかし、中嶌はすっかり経営の面白さに心を奪われていた。そこで銀行を退職、同じく昔の取引先で、声をかけられていた翻訳会社に身を投じる決意をする。