「生まれてきたから生きている」

 「普通に生きる」ことの達人といえば、まっさきに浮かんでくるのが、漫画家・水木しげるさんの奥様、武良布枝さんです。その著書『ゲゲゲの女房』の帯には、水木しげるさんによる「家内は『生まれてきたから生きている』というような人間です」という推薦文(?)が載せられていました。

 元々は、ある編集者が水木さんに「奥様はどんな方ですか?」と尋ねた質問に対する答えだそうです。会話のハズミとしても、自分の奥さんとしても何だか失礼な言い方じゃないか。布枝さんはどう感じたんだろう。一瞬そう思ったものの、そんなふうにいわれても動じない自信のようなものがあるのかもしれない、と感じたのです。

 誰もが明確な目的を持って生きているわけじゃない。ムリに持たなくちゃいけないわけじゃない。「生まれてきたから生きている」ことを自然に受け入れているように見えるお年寄りたちはそっと教えてくれているのでしょうか。「生きている目的なんて、なくてもいいんじゃない?」と。

 そう頭では理解しても、現実はさにあらず。私たちが先輩たちのように穏やかに人生を、老後を過ごせるのか。少なくとも私はからきし自信がありません。90代本ブームは、やはり生きにくい時代の「あだ花」といえるのかもしれません。

 そして「普通」の生き方を実践し、その価値を体現してくれる大先輩たちもいずれは世を去ります。人生のお手本がいなくなった時、私たちはどうするのでしょう。誰に「今の居場所で大丈夫」と背中を押してもらうのでしょう。自分の決して遠くない老後も見据えながら、ちょっぴり不安に思ってしまうのです。