1964年の東京五輪開会式東京五輪や東海道新幹線開業など、高度経済成長のシンボル的な年として印象付けられている1964年。しかし、この年を境に、低成長にあえぐその後の日本経済の元凶ともいうべき事態が幕を開けていた Photo:JIJI

日本経済は1964年以降、爆発的に増えた「成長なき中小企業」を淘汰しない限り、苦境から脱出できない――。大手銀行の統合や観光立国を予言した伝説のアナリスト、デービッド・アトキンソン氏はこう指摘する。日本の中小企業は成長もせず、さりとて廃業もしない会社が圧倒的に多い。これは世界的に見ると異常なことなのだ。(ノンフィクションライター 窪田順生)

伝説のアナリストが指摘
「日本の衰退は1964年に始まった」

 突然だが、皆さんは「1964年」と耳にすると何をイメージするだろうか。

 やはり東京五輪を連想する人が多いだろう。中には、この年に開通した東海道新幹線の姿が頭に浮かぶという人もいらっしゃるかもしれない。いずれにせよ、戦後の焼け野原から、世界第2位の経済大国へと飛躍をしていく「古き良き時代」というイメージが強いのではないか。

 なぜこういう反応になるのかというと、我々は物心ついた時から学校の先生やマスコミに、そのように教えられてきているからだ。しかし、実はこの“国民教育”が誤っているかもしれないというのをご存じだろうか。

 この20年、先進国の中で唯一成長しておらず、先進国の中で際立って生産性も賃金も、そして幸福度も低いという「日本病」が一体いつごろから始まったのかを遡っていくと、「1964年」に突き当たるという経済分析がある。

 つまり、「1964年」は日本が飛躍した年などではなく、「衰退」がスタートしたターニングポイントだというのだ。

「そんなバカらしい陰謀史観など信じられるかよ」なんて鼻で笑う方もいらっしゃるかもしれないが、この分析が誰によるものなのかを聞けば、笑ってばかりもいられない。

 観光戦略をはじめ、政府の経済政策にも大きな影響を与えている、デービッド・アトキンソン氏である。

 ご存じのない方のために簡単に説明すると、アトキンソン氏は元ゴールドマンサックスの著名なアナリスト。取締役、共同出資者を経て07年にリタイヤするも、もともとオックスフォード大で日本学を専攻し、日本文化にも造詣が深いということもあって、国宝や文化財の修理を担う「小西美術工藝社」のオーナーから説得され、経営再建を引き受けたという、異色の「外国人アナリスト」である。

 そんなアトキンソン氏の分析を、なぜ「バカらしい」と笑い飛ばせないのかというと、これまでこの人の分析をボロカスに叩いてきた人たちは、ことごとく赤っ恥をかいてきたからだ。