「正義感」が横行する社会

 ネットだけではありません。私が診ている患者さんで、企業のクレーム処理部門で責任者をしている方がいますが、近年、クレームの量が急増しているとか。といっても、従来のように難癖をつけたり、脅してきたりするのではない。一見、理路整然と、しかし容赦なく攻撃してくるそうです。「お宅のせいで、これだけの損失をこうむった。賠償しないのなら法的手段も辞さない」といった具合です。もちろん、ユーザー側に非があることも多い。それでも客の手前、下手に出るしかない。彼女は顧客の自宅で何時間も謝罪するような状況に何度も立たされるなか、すっかり精神的に参ってしまったといいます。

 誤解のないようにいっておくと、私自身、公務員の肩を持つわけでもありませんし、企業の製品やサービスに問題があれば、声を上げることも大事だと思います。けれど、背景にある事情や物事の経緯を考慮せず、正しい/正しくないの二元論で一方的に攻撃する風潮にはどこか違和感を覚えるのです。本当にそれが正義なんだろうか、と。

 こうして「正しくない」ものを「正す」ことで、世の中はクリーンになるのでしょうか。いや、むしろこうした「正義感」が横行することが、社会の多様性や寛容性を損なうことにつながらないだろうか。何か大事なものがこぼれ落ちていくんじゃないだろうか。そんな思いを抱くのです。

 人間とはそもそもいい加減な動物です。立証するまでもないかもしれませんが、そのことは学術的にも証明済み。例えば投資などの世界でも、ついつい目先の利益に走って、結果として損な決断を下してしまう。そんな人間の非合理的な生態が、行動経済学の分野をはじめ様々な角度から語られます。

 要するに、人間は過ちを犯すものなのです。それは、時代が変わっても、環境が変わっても、絶対に失われない人間の基本的な性質といってもいい。だから、いくら意識的に注意をしてもミスは減らない。「ヒューマンエラーの心理学」と呼ばれる研究からも同様の結果が出ています。医療現場でヒューマンエラーを防ぐために何重にもチェック機能を持たせているは、そうした理由からです。残念ながら、私たち人間は常に正しい判断を下すようには作られていないのです。