バブル時代とは、果たしてなんだったのか。

 当時、森山の父親は、千葉県のとある地方都市の市役所に勤務する公務員だった。市役所の職員は、景気がよくても悪くても、待遇という面であまり関係ない。だが、中学と高校を通じて森山の親友だったヨースケの家は違った。ヨースケの父親は不動産会社に勤めていて、毎年夏休みになると、一家でハワイ旅行に出掛けていた。バブル時代のピークには、一回のボーナスが五百万円で、それは森山の父親の年収の半分よりも多かった。ヨースケだけじゃない、私立の中高一貫校だったせいもあり、同じ学校の友達には、父親が株で大儲けしたとか、ボーナスでベンツを買ったとか、そんな話があふれていた。

 父親に直接いったことはなかったが、当時の森山は、少しみじめな思いもしていた。世の中は好景気に沸いているというのに、森山の家は、森山の高い学費を払うために、切り詰めた生活をせざるを得なかった。父は、世渡りがうまいわけでも、特別に能力が高いわけでもない。ただ地道に、判で押したように毎日市役所に出掛けていき、期末の繁忙日を除いて、ほぼ決まった時間に帰ってくる。そんな父が、その平々凡々たる人生が、森山は嫌いだった。父のようにはなりたくない。そう心底、思っていた。

 ところが、中学から高校に上がった一年生の秋、異変が起きた。

 親友のヨースケが突然、学校を辞めると言い出したのだ。

「オヤジが株で損しちゃってさ」

 衝撃だった。子供に学校を辞めさせるなんて、相当のことだ。それが株などというもののために起きてしまう。そんなことがあっていいのか。

 それを父に話すと、「ああ、それは“信用”だろう」、といった。父は真面目一本槍で、自分では一切、株をやりはしなかったが、人並みの知識は持っていたと見え、簡単なレクチャーを授けてくれた。

 信用取引で大損をしたヨースケの父親は、預金をはたいただけでは足りず、家まで売って、その損失の穴埋めをせざるを得なくなったのだ。それだけなら、ヨースケは学校を辞めなくてもよかったかも知れない。悪いことに、ヨースケの父親はその損失を取り戻そうとして、さらに損失を拡大させていった。

 森山が一番親しくしていた友達は学校を去り、どこか知らない町へと引っ越していった。それ以来、ヨースケとの連絡はぷっつりと途絶えたまま、いまに至っている。

 株価は、その前年、つまり平成元年十二月の大納会に日経平均約三万八千円の市場最高値を付けた後、下落に次ぐ下落を続けていた。ヨースケの事件をきっかけに新聞の株式欄を見るようになった森山が、生き物のように揺れ動くチャートにある種の畏怖と魅力を感じたのもそのときであった。こうした経験が後々、大学を卒業するとき証券会社を目指すきっかけになったことは否定しない。

 ヨースケだけでなく、高校二年に上がるまでに、何人ものクラスメートが親の都合で学校を去ったことは、忘れ得ぬ出来事として森山の心に刻み込まれた。生徒の間にあふれていた、ある種能天気で、景気のいい話はとんときかれなくなり、世の中全体が長患いの家族でも抱えているかのように暗く、沈んでいく。

 その一方で、森山自身、少なからぬ大人たちがそう思っていたように、この不況は一時的なものに過ぎず、すぐに元の好景気が再来するのではないかという期待を持たないではなかった。

 しかし、それはまったく根拠のない希望的観測に過ぎなかった。どれだけ待っても、また期待しても、景気は一向に回復する気配を見せなかったのだ。株価も地価も下落を続け、不景気という名の怪獣の長い尻尾は、ついに森山が大学を卒業するときまで、いやそれ以降も、就職難という形で、立ちはだかったのである。

 就職氷河期の真っ只中に就職活動をすることを強いられた森山は、数十社にもおよぶ面接を受けて、落ちた。

 就職が厳しいことはわかっていたから、学生時代から自己啓発に努め、英会話だけではなく証券アナリスト試験などの資格を得るための勉強にも余念がなかったつもりだ。授業はほとんど皆勤。成績はほとんど「優」──それでも落とされる。

 なんで落とされたのか、理由が判然としないことも多かった。

 不可解というより、理不尽。

 相次ぐ不採用の知らせに、森山の腹に渦巻いたのは、やり場のない怒りだった。