「概算で千五百億円の買収金額となると、収益は相当なものが見込めるんだよな」

 電脳雑技集団とのアドバイザー契約を締結した日、東京セントラル証券社長の岡光秀の機嫌は上々であった。調印のために社長室を訪れたときのことである。

 東京中央銀行の専務取締役だった岡が、頭取の椅子を巡る出世競争に敗れて現職に就いたのは、一年前のことであった。

 上昇志向の塊で負けず嫌い。感情を剥き出しにするタイプで、口癖は、“銀行に負けるな”、だ。

「成功報酬で受注しましたから」

 半沢は、こたえた。

 成功報酬にしようというのは、諸田の提案であった。手数料が高くなる代わり、失敗したら一円にもならないという契約だ。しかし、難航必至のこの案件では、あまりにリスクが高い。難色を示した半沢に、「それでいけ」、と命じたのは他ならぬ岡だった。

 理由はひとつ。企業売買の分野で高収益を上げ、親会社の鼻を明かしたいからだ。

「絶対に成功させろ。厳命だ、営業企画部長」

 粘着質そのものの岡の視線が半沢に向けられる。正直なところ、確実に成功するという自信はなかったが、反論する場面でもない。「全力で臨みます」、というひと言を残し、半沢は社長室を辞去した。

「社長はなんとおっしゃってましたか」

 自席に戻ると、期待の笑みを浮かべた諸田が半沢のところへやってきた。岡の褒め言葉をききたかったに違いないが、「期待大だが、失敗は許されない」、といった半沢を前に、表情を引き締めた。

「いまプロジェクトチームでスキームを練っていますので、まもなくご報告できるかと」

「いいスキームはできそうか」そうきいた半沢に、

「気合で作りますよ」

 諸田は精神論を口にし、不安にさせる。

 こういう言い方は銀行時代によくきいた。そしてそのたびに、うんざりさせられたものだ。気合で乗り切れるほど、簡単な話か。物事には、成功させようとしたってできないことはいくらでもある。

 営業企画部次長という要職にある者に、半沢が期待するのは事態を見極める冷静な判断力だが、諸田にはそれが有るか。

「“鋭意努力しましたが、ダメでした”では済まないからな。ウチの今期業績を左右する事案になる」

「承知しております。この買収案件を成功させられないようでは、証券会社としての将来はありませんから」

 諸田はさらに根拠のないスジ論を口にして、半沢をうんざりさせた。

「今後のこともあるからいっておくが、そういう精神論とかはともかく、客観的な検討をしてくれないか」

 諸田の表情が微妙に歪む。自分の仕事ぶりを半沢が認めていないことが不満なのだ。

「部長、本件は私が責任をもってやり遂げますので、全面的に任せていただけませんか」

 少し苛ついた口調で、諸田はいった。銀行時代は証券部門で、畑違いの半沢よりも詳しいという自負もあるだろう。「プロジェクトチームは当社の選りすぐりばかりです。客観的に分析したところで所詮、予測に過ぎません。結果が全てなんじゃないでしょうか」

 もともとプライドの高い男である。話しているうち内面の怒りを抑えられなくなった諸田は、みるみる顔を真っ赤にしていった。

「じゃあ、結果を出してくれ」

 半沢はいった。「成功報酬という選択をした以上、君が出すべき結果は、ひとつしかない。買収を成功させることだ」

「もちろん。期待していただいて結構です」

 諸田は、挑むような眼差しを半沢に向けると、一礼して部屋を出て行く。その背を見送った半沢は、ひとり深いため息を洩らした。