組織で「知の探索」を促進するにはどうすればよいか
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サマリー:組織レベルで「知の探索」を促す方法は何か。一つは、組織を「知の深化部門」と「知の探索部門」に分けること(構造的な両利き)。もう一つは、人材の多様化(ダイバーシティ)である。本稿では、なぜ組織レベルの知... もっと見るの探索において構造的な両利きとダイバーシティが重要なのか、具体的な企業の取り組みをもとに解説する。本稿は『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社、2019年)の一部を抜粋し、紹介したものである。 閉じる

出島組織には、異なるルールを

 組織レベルで「知の探索」を促すにも様々な施策があるが、なかでも典型的な施策は、組織を「知の深化部門」と「知の探索部門」に分けることだ。構造的な両利き(structural ambidexterity)と呼ばれることもある。

 この分野で多くの研究成果を残しているのは、ハーバード大学のマイケル・タッシュマンとスタンフォード大学のチャールズ・オライリーだ。彼らが2004年に『ハーバード・ビジネス・レビュー』(HBR)に発表した論文では、構造的な両利きの成功例として、米大手新聞USA Todayを取り上げている(※1)

 1990年代に販売部数の落ちてきたUSA Todayは、「USA Today.com」というインターネット上のニュース配信サービスを立ち上げた。しかしこの新規事業部門は、当初まったくうまくいかなった。前章で述べたように「知の探索部門」は、最初から成果が出ることはそうそうない。結果、収益性の高い既存部門と比べられると、徐々に「成果が出ない」と見なされて、やがて予算も回らなくなってくる。

新規事業には、既存事業と別の評価軸を持たせる

 そこで当時の社長トム・カーリー氏は、インターネット・ニュース配信事業を既存の(紙媒体の)新聞事業から完全に切り離し、人材も、事業方針も、ビルのフロアまでも分けることにしたのだ。さらに重要なのは、評価軸を既存事業と別にしたことだ。

 他方で、カーリー氏は「知の深化」も重視した。例えば、この新規事業の担当役員には社内でも彼と意見の近い人物を登用し、新聞部門の担当役員と頻繁に知見をシェアさせて、情報共有を促したのである。結果、USA Today.comは米新聞社のオンラインメディアで最も成功したとまで言われるようになった。

 この事例などをもってタッシュマンとオライリーは、企業が構造的な両利きを成功させるには、「(1)新しい部署に必要な機能(例えば開発・生産・営業)をすべて持たせて、独立性を保たせること」「(2)一方、トップレベル(例えば担当役員レベル)では、その新規部署が既存の部署から孤立しないように、両者が互いに知見や資源を活用し合えるよう交流を促すこと」の重要性を主張する(※2)

日本でイノベーションを促すには「評価制度の見直し」が不可欠

 筆者がUSA Today.comの事例で特に注目したいのは、評価軸である。筆者は私見として、日本企業でイノベーションを促すためには、評価制度の見直しが不可欠だと考えている。繰り返しだが、知の探索は遠くの離れた知を組み合わせることだから、失敗も多い。その時に既存事業と同じ評価制度を使っていては、知の探索は続かない。一般に、多くの企業は人を「その期の成功・失敗」で評価するはずだ。しかし、自分が成功・失敗の紋切り型で評価されるとわかれば、人はその瞬間から失敗を恐れ、知の探索をやらなくなる(※3)

 実際、最近のスタートアップ企業や海外の大手企業では、評価制度を見直す動きが急速に進んでいる。ドイツSAPなども導入しているノーレイティング(No Rating)なども、導入の背景の一つには成功・失敗の紋切り型の評価を避ける、という理由があるはずだ。

ダイバーシティは、一人でもできる

 組織レベルの知の探索でもう一つ重要なのは、間違いなく人材の多様化(ダイバーシティ)だ。

 そもそも「知」は、人が持っている。したがって組織内に多様な人がいれば、離れた知と知の新しい組み合わせが組織内で多く起こり、新しい知が生まれやすいはずなのだ。このように、いま世間で盛んに言われているダイバーシティ経営は、経営学の視点からは、「知の探索を促し、イノベーションにつながりうる」から求められる。その意味で、ダイバーシティはイノベーションが枯渇する日本企業でこそ、真剣に検討すべきであろう。

 しかし、日本企業ではこの「なぜダイバーシティが必要か」への理解と腹落ちが、極めて乏しい。加えて課題なのは、ダイバーシティには「知の探索」の効果もあるが、他方で「男性vs.女性」「日本人vs.外国人」などの属性だけに頼ったダイバーシティでは、知の探索効果が十分に発揮できないことだ。この点は、第20章「認知バイアスの理論」で解説している(※4)

新しい知を創る、イントラパーソナル・ダイバーシティとは

 ここでは、それとは異なる視点を提供しよう。それは、「ダイバーシティは一人でもできる」というものだ。知の探索・深化の理論に基づけば、ダイバーシティの本質は、知の探索を促すためにある。だとすれば、先のように「一つの組織に多様な人がいる」(=組織ダイバーシティ)ことも重要だが、「一人の人間が多様な、幅広い知見や経験を持っている」のなら、その人の中で離れた知と知の組み合わせが進み、新しい知が創造できるのだ。これを、経営学ではイントラパーソナル・ダイバーシティ(intrapersonal diversity)と呼ぶ。「個人内多様性」という意味だ。筆者は「一人ダイバーシティ」と呼んでいる。ダイバーシティは、一人でもできるのだ。これが、個人レベルの知の探索である。

 イントラパーソナル・ダイバーシティという言葉は、初めて知った方も多いだろう。それもそのはずで、ここ10数年くらいの間で、経営学で注目されている新しい概念だからだ。近年は実証研究が進んできており、そして多くの研究で「イントラパーソナル・ダイバーシティが高い人は様々な側面でパフォーマンスが高い」という結果が得られている。例えば、同分野の先駆けとなったワシントン大学のスチュアート・バンダーソンらが2002年にAMJに発表した論文では、米フォーチュン100の44企業の経営メンバーそれぞれのプロフィールデータを集め、ファイナンス、R&D、営業、マーケティングなど、様々な職能を経験している経営メンバー(=イントラパーソナル・ダイバーシティの高い経営メンバー)がいる企業ほど、業績が高い傾向を示している(※5)

革新的な人はイントラパーソナル・ダイバーシティが高い

 実際、「いま革新的なことをしている人は、ことごとくイントラパーソナル・ダイバーシティが高い」というのは、筆者の実感でもある。例えば、「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2017」の受賞者の方々がそうだ。同賞はビジネス界で革新的なことを成し遂げた女性を、表彰する制度だ。

 そして、そこで選ばれる方の多くは、イントラパーソナル・ダイバーシティがことごとく高い。例えば同賞の表彰イベントで、筆者は受賞された林千晶氏、小林せかい氏、そして小島由香氏と公開対談をした。そこで気づいたのは、この3名が全員とも「全く異なる業界の間を移籍した経験がある」ことだ。例えば林氏が創業したロフトワークは、クリエイター同士をつなぐプラットフォームをつくる先進企業だが、同氏はそもそも共同通信の記者だった経歴を持つ。小林せかい氏は東京・神田で「未来食堂」を経営する社会起業家だが、元々はIBMのエンジニアだ。小島氏に至っては、現在はFOVEというVR装置を開発するスタートアップの創業者だが、元は漫画家である。

 みなことごとく、イントラパーソナル・ダイバーシティが高いのである。こういった方々が、揃いも揃ってウーマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれるのは、やはり偶然ではないだろう。その幅広い経験が、知の探索になっているのだ。実際、例えば小島氏にお話を伺うと、同氏がFOVEのVRヘッドマウントの仕組みを思いついたのは、漫画家時代の経験に起因しているそうだ。

 筆者は、何も「日本人は全員転職しろ」と言っている訳ではない。先のWiLやローンディール、クロスフィールズのように、転職をしなくても人を動かす仕掛けはある。ポイントは、この人を動かす仕掛けが、知の探索になることだ。