いい加減なビジョンも
集めていくと…

たとえば、次のようにもっともらしく否定できます。

・ゲームのメインユーザーは男子中学生から大学生だが、この世代は独立心が強く、家族という価値観を否定しがちであり、鍋のような食事を嫌う。
・核家族化が進み共働きが増えて少子化が進む世の中で、家族が一ヵ所に集まることは難しくなっており、そもそも鍋を囲む機会自体が減っている。

このような否定が繰り返されると、「鍋」という路線自体が誤りであるかのように思えて、不安を感じはじめます。

しかし、それで構いません。たとえ個々のビジョンが簡単に否定されてしまう問題児だったとしても、何ら問題はありません。

ビジョンはそもそも、いっさい責任を取るつもりもなく、実現可能性にも触れられていない“素直な声”でなければいけません。

むしろいい加減なビジョンであるほうが望ましく、その欲求が心に忠実でさえあればあるほど歓迎すべきです。

個々のビジョンがどれだけいい加減なものであったとしても、それらのビジョンが集まれば集まるほど、そこからコンセプトを生み出しやすくなるのです。