近代日本資本主義の父――渋沢栄一

「率直にいって私は、経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物の中で、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない。彼は世界のだれよりも早く、経営の本質は『責任』にほかならないということを見抜いていた」

 これは、「経営の神様」ピーター・ドラッカーが名著『マネジメント』の序文で渋沢について述べたものです。経営の神様をして、いち早く経営の本質を見抜いていたと言わしめた渋沢栄一(1840~1931)は、近代日本の産業界のありとあらゆる分野に及ぶ企業を興し、「近代日本資本主義の父」といわれた大事業家です。

 渋沢は、武蔵国榛沢郡血洗島村(はんざわぐんちあらいじまむら・現埼玉県深谷市)の農商業を営む家に生まれ、6歳頃より教育熱心な父親から学問の手ほどきを受けました。7歳からは従兄弟の漢学者尾高惇忠(おだかあつただ)に「四書五経」、漢学、陽明学を学ぶかたわら家業を手伝い、14歳で単身仕入をするほどになり、商才を発揮したといいます。

 22歳で江戸へ遊学し、尊王攘夷思想に目覚め、高崎城乗っ取り計画を立てますが、これを中止し、京都に逃亡して徳川慶喜(よしのぶ)公に仕えます。その後、慶喜公が将軍となったため幕臣となり、27歳の時、慶喜の弟昭武(あきたけ)の随行員としてパリ万国博覧会を訪れ、約二年間、ヨーロッパ諸国で見聞を広めます。

 帰国後は、静岡で謹慎中の慶喜公の下で「商法会所」(出資を一般に公募した日本最初の株式会社といわれています)を成功させた後、新政府へ移り大蔵省へ出仕します。大隈重信、井上馨らの下で大蔵省の組織・財政改革に務め、三三歳で大蔵省を辞めて第一国立銀行を創設しました。

 ここまでが渋沢の前半生です。幼少時からの学問や商売の経験はもちろん、攘夷派から一転して幕臣となり突然の洋行という役が回ってきたり、謹慎中の前将軍の下から一転して新政府へ出仕したりといった劇的な経験は、渋沢の後半生に大きく影響したことでしょう。この後、渋沢が91年の生涯を終えるまで携わった事業は、実業が500あまり、社会福祉、教育などの社会公共事業が600あまりに及ぶといわれています。

渋沢栄一(1840~1931)

 渋沢は、事業理念の範を、資本家とは一見不釣り合いな『論語』に求め、「事業と道徳の一致」(「論語と算盤」)を唱えました。そして、「士農工商」の最下位に置かれてきた商人を、国家を裕福にする実業家と位置づけ、事業が正業であるならば公益と私益とは一致すると主張し、かつこれを実践しました。一例を挙げるだけでも、第一国立銀行、日本興業銀行、東京海上保険会社、東京瓦斯、東洋製鉄、王子製紙、帝国ホテル、東京商工会議所、東京株式取引所の設立と、日本の近代産業のありとあらゆる分野に及んでいます。

 一方で、非営利の社会事業にも力を注ぎ、東京府養育院、結核予防協会、聖路加国際病院などの社会福祉事業や医療事業のほか、商法講習所、日本女子大学の設立などの教育事業にもかかわっています。34歳で実母を亡くしてからは、「慈悲深かった母を亡くし、母に対するせめてもの恩返しとして社会福祉に力を入れるようになった」と渋沢自身が後年語っているように、経済活動で得た富を惜しみなく社会福祉事業に還元しました。

 実業にせよ社会福祉事業にせよ、終止一貫しているのは「公益の追求」です。それは、近代人としての「独立自尊」の精神であり、強い倫理観と「公の精神」から生み出されたものでした。

 渋沢の子息の秀雄は、渋沢が亡くなってしばらく経ってから、短歌誌『アララギ』のなかに「渋沢栄一翁の逝去を悼む」という前書きのついた一首を発見したそうです。

 「資本主義を罪悪視する我なれど 君が一代は尊くおもほゆ」

 秀雄は、「父が誠実に働き通した幅の広い一生は、人生観・社会観・国家観のちがう若い人にも、この歌のような例外的な共感をよびおこしたのであろう」と述べています。単に財界人という枠を超えて、渋沢が「近代日本資本主義の父」と呼ばれるゆえんがここにあります。

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