挑戦する人は、普段から努力している

打算や思惑のない言葉こそ、伝わる<br />【(『超訳ニーチェの言葉』)白取春彦×ジョン・キム】(後編)

白取 高みへの意識も、日本には足りないですね。ニーチェが言うところの、人として能力の果てまで行ってみようとする意志です。だって、変なところでみんな、満足しちゃっていませんか。僕の例えは、いつも危険で微妙なんですが、あえて言ってしまいます(笑)。ユニクロの服で満足していていいのか、ということなんですよ。100円ショップでモノを買って満足していていいのか、ということです。それでファッションのセンスが磨けますか。それでいいんですか、と。

キム 限界って、事前に設定するものではなく、自分が最善を尽くした結果として、最終的にたどりついた到達点が、僕は限界だと思うんです。ところが、自分で理想を、あるいは到達できる最高地点を決めてしまったりする。あるいは、失敗することを恐れすぎて、そもそも高い目標の設定をしなかったりもする。

 人生は、挑戦できる勇気を持っているかどうかで、2つの部類に分けられてしまうと思うんです。そこで必要になるのが、自分への信頼です。成長する可能性に対する自分の信頼が高ければ高いほど、人間は目標設定を高くできる。

 でも、傲慢になってはいけない。自分の力を過剰に、過大に評価してはいけない。一方で、未来の自分の可能性について過小評価してもいけない。今の時点、今の視点で設定した理想や限界は、もしかしたら将来の自分の可能性から見ると、ちょっと失礼なことじゃないか、という気持ちで、今の自分を見る必要があるし、これからの自分というものを築いていく必要があると思うんです。

 現在と未来の、自分の可能性に対する絶対的な信頼が、やっぱり必要になるんじゃないかと。

白取 キムさんのほうが、説明がうまいから困る(笑)。たしかにそうなんです。少し付け加えるなら、失敗が怖い人たちは、ものすごい自尊心があるんでしょうね。妙な自尊心があるから、失敗が怖い。かっこ悪いことをしたくない、かっこ悪い目には遭いたくない、評判を落としたくないし、世間体も気になる。

 でも、挑戦する人というのは、普段からいろんな努力をしているんです。だから、やってみたい、トライしたい気持ちのほうが強いんだと思う。そのときに、自分の見栄とか、世間体は考えない。ガムシャラにやるんですよ。挑戦しないけど、怖じ気づいて、腰が引ける人は、やっぱり普段から、あまり努力しないし、世間体や自分がどうカッコ良く見えるか、って、そんなことばかり考えている。

 ただ、ニーチェはこう言っているんです。一般大衆から離れて、自分だけ高みに行けばいいんだと。貴高さを手に入れて、高貴な人間になってしまえ、と。ぐずぐずダラダラ、保証された人生を生きているような人間から離れるんです。高貴といっても、貴族を目指すわけじゃない。精神的な貴族を目指すわけです。そのためには、どんな犠牲も厭わない。

 実際のニーチェというのは、非常に穏やかな人でした。口調も穏やかで、静かで控えめで、むしろ女性っぽいような感じさえ、思わせるような声の低さで、物腰は丁寧で。そしてお洒落だったんです。

 哲学者はお洒落な人が多いんです。カントもそうです。生活は質素なんですよ。ニーチェも、夏はスイスに住んで、冬はイタリアに住んで、という生活を延々と続けましたから。寂しい孤独な生活。食事も昼のランチに、ホテルのランチを食べる意外は貧しいものを食べていました。