蕎麦屋修行に少し遅れて入った店主でした。料理は創造力だと知り、葉山の海岸通りの隠れ家のような古民家で「惠土」流の蕎麦懐石を創り上げました。

 海の波からもらう力を蕎麦屋のオーラに変えていきます。

(1)店のオーラ
脱サラ後3年修行し、居酒屋を開店

 「頭のいい奴がいっぱいで、勝てないな」

 大学を出て、ある宝石会社に勤めてすぐ、周りの人間がみんな自分より上に見えたそうです。仕事も性に合っていなかったのでしょうか。“とりあえず、転職をしよう”、彼はシンプルにそう考えました。

長い創作料理歴、日本の伝統料理も学び、蕎麦好きの心を溶かす懐石料理。

 ある日、大学の先輩に自分に合う商売はないか、と相談に行きます。

 「2人で居酒屋をやろう」

 先輩はその時、後輩に途方も無いことをいいます。が、2人はその場で意気投合して居酒屋を始めることにします。

 後輩とは「惠土(えど)」の亭主、惠土靖さんです。

 「食べることが大好きだから、料理も作れるだろう」

 自分でも勇ましいことだった、と笑う惠土さんが当時のことを語ってくれます。

海岸通りから奥まった古民家で、陽射しを浴びながら味わう蕎麦が格別。

 2人は奇抜な行動をとります。店の開店を3年後に設定して、別々な店に修行に入ります。惠土さんは最初に居酒屋、次に焼き鳥屋、最後には創作料理屋と渡り歩きました。

 約束の3年後、2人は日本橋に焼き鳥と創作料理をメインにした居酒屋を開店しました。2人の自己資金で足りない分は、先輩の知人がぽんと出してくれたのですから、運もありました。

 惠土さん、29歳。12年前のことです。

 「店は面白いほど流行って、商売が楽しくて仕方がなかった」

 惠土さんは休みになると、方々の料理屋やレストランを食べ歩きし、時間を見つけては料理に工夫を重ねます。

 作り手に意欲があるから、客の心にも響き、それがまた客を呼びます。となると、職人気質の惠土さんはますます研究を重ねるという風に順回転していきます。

 店は快調に4年経過していました。その頃、今から8年前、空前の蕎麦屋ブームが来ていました。