「イエスマン」とは上司や先輩の言うことを「はい、はい」とすべて受け入れる人のことですが、従来は否定的な意味合いで使われることが多かったようです。なぜなら「イエスマン」には、主体性がうかがえないというイメージに加え、権力者の機嫌を取り自分のポジションを確保しようとする下心があるとも見られていたからです。

 しかし、時代の変化とともに、相手の言うことを「受け入れる」=「否定しない」ことへの見方が変わってきているようです。

 特にどのような意見に対しても、まずは「yes」と受けとめたうえで「but」を使って意見を調整していくことは、多様性が高まった社会でのコミュニケーションにおいて、重要な姿勢と言えます。

 最近はどの企業もコミュニケーション能力の高さを社員に求めていますが、「yes」「no」という考えを正確かつ論理的に伝えるだけが、コミュニケーション能力を担保するものでしょうか。この問いに対して、次のように明確に異を唱える企業があります。

「当社で言うコミュニケーション能力は、自己主張の強さとは全然違います。どちらかといえば、傾聴力とか気配りですね。確かに自分の主張を論理的に話す能力を求めるセクションもありますが、社員はまず営業店に配属されますから、気配りのコミュニケーションでお客さんのハートをがっちり掴むことができなければ仕事が務まりません」(佐川急便 採用担当 鈴木氏)

 では、いわゆる優柔不断な一昔前の「イエスマン」と、コミュニケーション能力の高い新しい「イエスマン」とは何が違うのでしょうか。私はその違いは、「現場理解」と「役割認識」にあると考えています。再び佐川急便の例です。

「言われたことを何でもやるのがいいというわけではなく、仕事の現場でいえば、何も言われなくても先輩の動きについていくような感度のよさが欲しいわけです。OJTで、配送トラックから降りた先輩が無言で走りだします。『えっ、走るの?』とびっくりしながらも、それについていくことが仕事なんです」(佐川急便 人事・安全企画部 井上氏)

 この例は、決して無闇に先輩の命令を聞くことを推奨するものではなく、仕事の現場を肌で理解し、自分のするべきことを敏感に察知する、幅広い意味でのコミュニケーション能力の獲得について述べたものです。

「今、自分はどんな場所にいるのか」を理解した上で、「その場所で自分に何ができるのか」を考えること――つまり「現場理解」と「役割認識」によって、頭でっかちに構築された「自己分析」は消失します。

 企業のなかで「イエスマン」が再評価される背景には、この“自己”の消失によって生まれる変化対応力への期待があるのかもしれません。