「そのとおり。“哲学者”の定義は“英知を愛すること”だ。最高の人生につづく運命の道を歩きたいすべての人は、英知への感謝と、人生とはなにかを理解したいという切なる願いを伸ばさなければならない。われわれがみな自分を哲学者と見なしはじめて、もっと魅力的で意味のある人生をつくる過程に身をおけば、この世界はいまよりずっといい場所になるだろう。だから、時代を超えた自然の法則にもどり、それによって日々の行動を支配すれば、最高の人生につづく高速道路に自然にのることができる。無視すれば、家路はどんどん遠くなる」

「それはそうと、その自然の法則ってなんですか?」もっといろいろ知りたくて、わたしはきいてみた。

「世界がはじまって以来、その運営をとりしきっている法則さ。そこには、“自分がほしいものを手に入れるいっぽうで、ほしいものを手に入れようとしている他人を助ける”、“完全無欠であれ”、“現在に生きる”、“知りうるかぎりいちばん親切な人間になる”、“することすべてにおいて最善をつくし、秀でる”、“自分自身に対して誠実になる”、“勇敢に夢見る”といった核となる原則がふくまれている。ほとんどの人は知っていることだが、生活の指針としている人は少ない。……」

「“そういった自然の法則で行動を支配すれば、最高の人生への高速道路にのれる。無視すれば家に帰る道は遠くなる”といいましたね。人生を旅しているときに苦痛や苦悩と出くわした人びとは――だれだって途中で困難を味わうでしょう――自然の法則に違反したので、高速道路からおろされ、もっと遅くてまがりくねった道を走らされるということですか?」

「いいかい、ダール、きみがいったように、地球上のすべての人びとはいい時にも悪い時にも直面する――たとえ聖人のように暮らしていても。苦しいできごとは、そのときに必要な教訓を学ぶのを助けるために起こる。悲しい体験は、わたしたちが癒され、深化し、もっと哲学的になるのを助けるために起こるんだ。完全な人間はいないから、だれもそういったことを避けられない。だから、親切で、気高くて、勇敢な人生をおくっていても、完全ではないということは、まだ学ぶべき教訓がたくさんあるということなんだ、……

 人生はふたつの岸がある川のようなものだと気づいたとき、ある賢人はみごとに表現した。片方の岸ではしあわせが見つかり、もう片方の岸には悲しみが見える。川にそって流れていくと、いや応なく両岸にぶつかるだろう。肝心なのは、どちらの岸にも長くしがみつきすぎないことだ」

「いいですね。その比喩はとても気に入りました、ジュリアン。つまり、だれも問題や悲しみのない人生をおくれないのは、そういったものは教訓をあたえにきているのであって、わたしたちがいかに進化していても、そこには学ぶべき教訓があるからですね?」