【お寺の掲示板75】たとえお金の雨が降ったとしても仏教伝道協会(東京) 投稿者:bukkyo_dendo_kyokai  [2020年7月7日]

“心の渇き”の対処法

 第3回となる「輝け!お寺の掲示板大賞」ですが、ありがたいことに、前2回を上回るご応募をすでにいただいております。締め切りは10月31日となります。引き続きよろしくお願いいたします。

 今回は、主催者である公益財団法人仏教伝道協会の掲示板からお届けいたします。実はこの掲示板、「大賞」が始まってから設置されました。以前、「タモリ倶楽部」で掲示板大賞を取り上げていただいたとき、みうらじゅんさんが「マイ掲示板」について触れておられました。この掲示板はまさに、仏教伝道協会が発信する場として活用している「マイ掲示板」でもあります。

 そこで今回の言葉です。私たちの欲望には際限がなく、たとえ貨幣が雨のように降ってきたとしても、それで満ち足りるということはないと、釈尊、つまりお釈迦さまがおっしゃったというのです。

 仏教伝道協会が全国のホテルの客室などに寄贈している『仏教聖典』に収載された「増一阿含経(ぞういつあごんきょう)」には、以下のような文章があります。

 人間の欲にははてしがない。それはちょうど塩水を飲むものが、いっこうに渇きがとまらないのに似ている。彼はいつまでたっても満足することがなく、渇きはますます強くなるばかりである。

 わたしたちは、お金が欲しい、おいしいものが食べたい、地位や名誉が欲しいなど、さまざまな欲を常に抱えています。これらの欲はたとえ一時的に満たされたとしても、完全に満たされることはなく、人間の心はさらに多くのものを求め続けます。仏教ではそのような心の様子を「渇愛(かつあい)」と呼んでいます。

 では、そのような心とどう付き合っていけばよいのでしょうか? 掲示板の言葉は『法句経(ほっくぎょう)』の一節で、これに続く形でお釈迦さまは次のようにおっしゃっています。

 (欲望の)快楽の味は短くて苦痛であると知るのが賢者である

 欲を満たした際に発生する快楽は長く続かず、それが苦痛にもつながることをしっかり認識している人が賢者であるとおっしゃっているのです。この文言を踏まえると、常に求め続けてしまう心の性質をしっかり認識しながら、自分自身の欲を客観視することが一つの重要なポイントとなるのでしょう。

 わたしたちの心は、基本的に他者と比較する中で欲が際限なく膨らんでいきます。「比較する中で苦しみが生まれる」ことについては、過去の連載でもレジの列にたとえて言及しました。比較することで強まる”心の渇き”から離れて、ほかの人から邪魔されない自分なりの幸せ(満足)を見つけることも大切です。

 以前、作家の村上春樹さんが、『村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた』の中で、自分なりの幸せ(満足)のことを「小確幸(しょうかっこう)」と表現していました。これは村上さんの造語で、「小さいけれども確かな幸せ」という意味合いの略語です。

 たとえば我慢して激しく運動した後に飲むきりきり冷えたビールみたいなもので、「うーん、そうだ、これだ」と一人で目を閉じて思わずつぶやいてしまうような感興、それがなんといっても「小確幸」の醍醐味である。そしてそういった「小確幸」のない人生なんて、かすかすの砂漠のようなものにすぎないと僕は思うのだけれど。

 ありきたりな日常の生活の中に、このような「小確幸」が潜んでいます。カフェでのんびりと熱々のコーヒーを飲む、朝に焼き立てホヤホヤのパンをかじる、サウナで滝のような汗をかいた後に水風呂につかるなど、人によってさまざまなカタチの「小確幸」があるのではないでしょうか? そのようなささやかだけれども確かな幸せをしっかりかみしめることによって、自分自身の渇いた心に潤いがもたらされるのです。

 お釈迦さまのおっしゃるとおり、人間の心が抱える欲には、はてしがありません。自分の心に生じたそのような欲を客観視しながら、誰にも邪魔されない自分なりの「小確幸」を発見し、それを着実に増やしていく。これが、欲に駆られて「かすかすの砂漠」のように渇いてしまった心と折り合いをつける一つの方法と言えるかもしれません。 

【お寺の掲示板75】たとえお金の雨が降ったとしても

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