トライリンガルの才女は国家重点大学に推薦入学

 チェ・ホアは日本語が実に堪能だ。いわゆる「中国語訛り」がほとんど感じられない。さらに、韓国語も習得しており、中国語・韓国語・日本語をネイティブ同等に操る「トライリンガル」でもある。

「周りの朝鮮族もそうでしたが、家では基本的に韓国語で話して、外では中国語。うちの両親は中国語もできるけど下手です。朝鮮族の学校では、中学から外国語を一つ学ぶんですが、英語か日本語の選択制でした。最近は英語を選ぶ人が多いみたいだけど、10年くらい前までは日本語を選ぶ人も多かった。私はずっと日本語だったので、日本に来る前からある程度日本語を話すことができました。そういった語学的な意味での順応力は、普通の漢民族より、私たち朝鮮族のほうが高いかもしれませんね」

 彼女は高校卒業後、推薦で公立大学に進学。親元を離れ、寮生活を始めた。成績優秀な朝鮮族の子弟が大半を占め、中国の「国家重点大学」の一つに指定されている省立の大学だった。そこでは、語学関係の学科に進み、朝鮮文学、中国文学、日本文学を学んでいる。

「高校生の頃まではやっぱりアメリカに憧れていたんですが、アメリカは遠すぎるし、英語は苦手で。でも、私は田舎育ちだから、外国、先進国に憧れる気持ちはずっとあって。だから大学でも、やっぱり日本の文学や歴史に一番興味を覚えました。でも学校の教科書は面白くなかった。当時すでに、日本に住んでいた漢民族の知人に頼んで、日本の新しい小説や雑誌や映画、ドラマなどを送ってもらいました。村上春樹の『ノルウェイの森』や吉本ばななの小説を読んだり、『an・an』とか日本のファッション誌を読んでいました。SMAPのことを知ったのもこの頃」

 大学では当時急速に広まっていったインターネットにも触れ、様々な情報を集めた。日本の映画やドラマを見ては、そこに映し出される街や文化の「発展」に驚き、日本への憧れが日に日に大きくなっていった。

「でも、私が大学時代を過ごしたのは90年代前半。朝鮮族の中で日本に留学している人など聞いたことがありませんでした。しかも、うちは貧乏。留学費用なんて出してもらえるわけもない。だから、日本に行くというのは単なる夢のようなものでした」

 学費捻出のためにアルバイトに明け暮れる日々

 大学時代はアルバイトに明け暮れた。実家にカネはない。学費を稼ぎ、貯金するためである。

「マッサージ、家庭教師、ウェイトレス……いろいろ掛け持ちしてやってました。だから、あまり勉強はできなかったですね。学費を稼いで、卒業後の蓄えを少しでも作りたいと思ってた。振り返ってみれば、あの頃から、私の生活はずっと仕事とお金を中心に回ってきたような気がします。本当はもっと勉強とか趣味とか、学生らしい遊びもしたかったんだけど、強迫観念のように『稼がなくちゃ』という思いにとらわれてきた気がします」

 その状況は今も変わらず続いている。父親は年をとるにつれてますます働かなくなり、韓国に肉体労働の出稼ぎに行くことがあっても、稼いだカネを全部自分が遊ぶために使ってしまう。そのため、母親も仕方なく韓国へ出稼ぎに行かなければならず、掃除やマッサージ、アカスリなどの仕事を続けていた。

「私には弟と妹がいます。ほとんど母が家計を支えていました。でも、生活はぎりぎりです。両親はどんどん不仲になっていくし、私は長女だから、常に不安でいっぱいでした。年とともに母も父も老いていきます。長女の私が頑張って稼いで、両親を楽にさせてあげたいし、家も買ってあげたい。弟たちの学費も稼がなくちゃいけない。そのうえで自分だって、やっぱりオシャレもしたい。そのためにはとにかく稼がないと。いつもそんな気持ちだったんです」

「それに一口に中国といっても広い。すごく広いです。北京や広州、上海などの大都会は発展しているけど、そうじゃない所のほうが多い。特に東北地方は発展が遅れていて、生活レベルが低い。中国国内でも格差がすごく大きいんです。私が中国にいるときにもすでに急速な経済成長は始まっていて、上海で成功した社長の話とかをテレビで見るたびに、同じ中国人とは思えなかった」

 朝鮮族は中国国内では少数民族だが、差別のようなものを感じたことはほとんどなかった。生まれ育った村も、大学も、比較的朝鮮族が多い環境だったことも理由の一つかもしれない。ただ、「中国はコネがものを言う社会。どうしても、そもそも人口の少ない朝鮮族は不利」だった。

 また、経済的、政治的なしわ寄せがおよぶ「少数民族の辛さ」が存在したことも確かである。ただでさえ90年代の中国全体では留学へのハードルも高く、それが拍車をかけた。そのため、「国内で何とかお金を稼がなければ」と毎日不安を抱えており、閉塞感も大きかったという。

「でも、忙しいなか、恋愛もけっこうありました。自分で言うのも変ですが、けっこうモテたんです。ただ、私は“だめんず”が好きなんで、失敗ばかり。お金をだましとられたり、中絶したこともあります」