「頑張れば必ず誰かが拾ってくれる」
アメリカンドリームを掴んだ日本人

「アメリカのど田舎と言っていい町で、教師としてのキャリアを始めたのですが、2年もしないうちに、100km以上離れた大きな町の学校から引き抜きが来て、驚きました」

 10年ほど前に、アメリカの田舎町に小学校の教師として赴任したその女性は、当時30代前半。日本で教員免許を持っていたものの、教職経験はなく、大学卒業後は銀行秘書や保険会社での人事担当など、教職とは無関係な仕事に就いていた。

 その彼女が、以前からの夢であったアメリカでの暮らしを実現したいと思い、バーモント州の小さな町での小学校教員の募集に応募したのが、そもそもの始まりだった。

 日本人など1人もいないその町に、小さな子どもと一緒にわたり、子どものケアをしながら働くことになったが、現地に着くなり小学校2年生のクラスの担任を任され、算数から始まり、社会、体育、音楽、果ては英語まで教えることになってしまった。

 ビビったという。子どもとはいえネイティブ相手に初めて渡米した日本人が英語を教えなくてはならないのだ。しかし、彼女は自分なりに工夫をした授業を行ない、子どもたちの信頼を得ていった。アメリカ人教師の授業を参考にすると同時に、自分の知識で自分だけができるやり方を模索していった。

 あるとき英語の授業で、『となりのトトロ』の英語版を子どもたちに見せてみた。戦後間もない日本の片田舎でのファンタジーなので、文化的に馴染みのない米国の子どもが理解できるだろうかと不安もあったが、メイとさつきがトトロに乗って空を飛ぶシーンでは、子どもたちから一斉に歓声が上がり、メイが迷子になってさつきが探し回るシーンでは、皆手に汗握って「がんばれ」コールが沸き、2人が再開してねこバスに乗るシーンでは大きな拍手が起こったという。

「良いストーリーは文化を越えて、見る者に同じ感動を与えるのがわかった」と彼女は話していた。