ゼロから学び続ける力

 自分の目で確かめて、考える力は一番大切だと思っている。

 僕自身、19歳で来日して以来、まったく未知の世界で毎日、いろんなことを勉強してきた。はじめて住んだ学生寮で先輩から「おまえ、いくつ?」と尋ねられたものの、マレーシアの大学で「年齢を訊く時は『あなたの歳はおいくつですか?』と言いましょう」と習っていたので、さっぱり意味がわからなかった。そんな小さな小さな「学習」からはじまって、銀行入行後に3年間の通信教育で身につけた金融商品の知識、日本人らしい冗談の言いかた、アフターファイブの人付き合いのしかたなどを、一つ一つ学んできた。

 本格的にビジネスマンとして働くようになってからは、日本の仕事のやりかたを徹底的に「学習」した。たとえば、前回の記事(10月16日)に書いたように人間関係を大切にする点も、銀行の仕事を通して覚えた。

 人と人の信頼を重視するので、日本でビジネスをする場合「推薦状」は効果バツグンである、名刺についた肩書きを最初に見る、といったことも、自分が起業するなかで学んだ。また、地域によってもいろいろなやりかたがあることもわかった。関西ではトップダウンで物事を決めていくのに対して、関東では現場の担当者が強い権限を持っている場合が多い。

 日本では僕は外国人だから、日本人が「常識」として身に付けていることを「トライアル・アンド・エラー(試行錯誤)」で学習していくしかなかった。でも、今、振り返ってみると、こういう学習能力は母国にいようが外国にいようが必要な能力だと気づく。それは、グローバルに生きていくための必要最低限の能力とも言える。

 僕には11歳と12歳の息子がいるけれども、彼らにも「自分で情報を集めて、自分のアタマで考えなさい」といつも言っている。彼らが将来、この地球上のどこで何をして生きていくのかについて、僕はいっさい口を出さない。親の役割は「教育を与えること」だけだと思っているから。

 ついこのあいだも、新聞の朝刊を読んでいた次男が僕をつかまえて「お父さん、どうして自民党総裁に安倍(晋三)さんが選ばれたの?おなかを壊して総理大臣を辞めた人なのに……」と訊いてきた。たった11歳でも、きちんと習慣として身に付けさせてやれば、新聞に書いてあることを鵜呑みにするのではなくて、「なぜ?」と疑問を持って自分の頭で考えられるようになる。

 息子たちには、言葉も通じない、友達もいないという環境で自分で生きていく力をつけてほしいから、学校が休みの時期は僕のマレーシアの実家に二人だけで行かせることもある。二人がこれからどんなふうに生きていくにしろ、グローバルでタフな力を身に付けてほしい。