尊敬する人は田中角栄

 「誰のために」「何のために」仕事をするのか?

 これは僕にとって常に大事な問題だった。20代から30代にかけては、やはり母国マレーシアのために働いていたと思う。僕を日本に送り込んでくれたマハティール首相が掲げた国の「ビジョン」、それを実現するためにできることをやった。外国企業の誘致だったり、ハラル認定された商品の輸出だったり、華僑やインド系の人材を活用したマレーシア製品の売り込みだったり……。その時々にいろんな事柄に取り組んできた。

 今は日本のために働きたいと思っている。ところが、日本政府にはちゃんとしたビジョンがない。日本製のソフトやハードを輸出するという方針はよく聞くものの、なぜ、そうするのかという「ビジョン」と、だから、どうするのかという「方法」がはっきり示されない。

 たとえば、田中角栄(1918‐1993)の「ビジョン」と「方法」は、マハティール元首相のそれと同じくらい明確だった。1972年に発表された「日本列島改造論」では、「日本全国を新幹線、高速道路、連絡橋で結ぶことで地方を工業化して、当時、問題になっていた過密と過疎を同時に解決する」といっている。

 どうして、田中角栄のような政治家が今の日本から出てこないのか、僕には不思議だ。「いい政治家がいない」「誰がやっても変わらない」といった不満はたくさん聞こえてくる。「じゃあ、あなたがやればいいのに」。つい、そう言いたくなる。

 田中角栄は貧しさのなかから偉大な政治家になった。今の日本には彼が持っていたような「ハングリー精神」がない、というのはよく言われることだ。日本は世界で一番快適な国だから、わざわざ外へ出ていく必要もなければ、現状を変えなくてはいけないという危機感も湧きにくい。だから、行動に出る人がいないのだろうか。その原因が何であれ、これだけのポテンシャルを持ちながら「行動」だけが足らないのは、本当にもったいないと思う。

                   (次回は11月13日更新予定です)