彼女が進学した大学が大阪教育大学と聞いて、かつての同級生らは首を傾げたという。誰もが、彼女の成績を東大、京大レベルだと思っていたからだ。周囲にはそれほどの才女だったとの印象が強い。

 性格は真面目でおとなしめ。だが、スリムで可愛いとの評判で、男子学生が“彼女にしたいランキング”を募れば、常に上位三位に名前を連ねる人気者でもあった。

 陸上部に所属していたが、痛めた足の治療でヨガを始めたことで彼女の人生は一転する。ヨガ教室は、彼女にある教団への入信を勧める。それが、オウム真理教だった。

 彼女の名前は、菊地直子。のちに“走る爆弾娘”と称された特別手配犯だ。

 この狂気の教団で、菊地は“エーネッヤカ・ダーヴァナ・パンニャッター”のホーリーネームを授かっていた。カモシカのように走る女、という意味になるらしい。オウム真理教は、組織内に“省庁”を設け、菊地は厚生省に配置されていた。

 日本のみならず世界中を震撼させたあのサリンを精製するため、厚生省所属の菊地は、試薬や実験機器の購入を担当した。また、東京都庁で起きた郵便物爆破事件や新宿駅での青酸ガス事件の原料調達にも“奔走”したとされている。オウムの陸上部として大阪国際マラソンに出場するなど、まさに走る爆弾娘だった。

 一九九五(平成七)年五月一六日、教祖の麻原彰晃こと松本智津夫(死刑囚)の身柄が確保、逮捕されるや否や、地下鉄サリン事件をはじめ一連の犯罪に関与した教団幹部らはいっせいに逃走を図った。警察庁が“特別指名手配”にした信者の数は一九人にものぼった。

 一九人もの“特別”手配犯を出した組織が、オウム真理教なのである。
  そして、菊地直子は、特別手配犯では唯一の女性だった。

 だが、一九九六年十二月に沖縄県石垣島に潜伏していた林泰男(死刑囚)の逮捕を最後に、残る三人――、平田信、高橋克也、菊地直子らの足取りは、ぱったりと途絶えた。菊地はフィリピンに潜伏しているとの噂も流れた。やがて捜査規模も縮小され、捜査員は捜査共助課の専従班六人のみにまで減少していた。