自治体の「聖火リレー中止」は愚かな決断

 最後に、自治体の「聖火リレー中止」という決定を厳しく批判しておきたい。これは、科学性、論理性を欠き、感情的で世論に迎合した意思決定だと考えるからだ。

 愛媛県の中村時広知事が「聖火リレー中止」を発表する際に涙を流した。中村知事の行為は、非科学的・感情的で五輪中止の世論をあおりかねないものだった。知事が取るべき態度ではない。

 そもそも、「聖火リレー」そのものが感染を拡大することはない。ランナーは、検査を受けて陰性であれば、走ること自体で感染を広げることはあり得ない。

 感染拡大が起きるとすれば、リレーを見る沿道の人たちが「密」を作ってしまうことからだ。だから、感染防止のためには、沿道に観衆を入れなければいいのだ。「聖火リレー」そのものを中止する必要性はまったくない。

東京五輪を開催すべき論理的な理由、「聖火リレー中止」に走る自治体の無責任本連載の著者、上久保誠人氏の単著本が発売されています。『逆説の地政学:「常識」と「非常識」が逆転した国際政治を英国が真ん中の世界地図で読み解く』(晃洋書房)

 だから、自治体が「聖火リレー」の中止を決定するのは、度を越した越権行為だと考える。現時点では、五輪は開催されると決まっていて、自治体はそれに従って、「聖火リレー」を実施することを前提にして、感染対策を万全にすべきなのだ。

 世論の反発という「空気」を恐れて、「聖火リレー」そのものが感染を広げることがないのに中止を決定をすることは、国民の五輪中止の感情をさらに高めてしまいかねない。それは自治体の行動としてはやりすぎだと思う。

 「世論」で五輪不開催を決めることだけは避けなくてはならない。五輪は世界最大のイベントであり、その開催は「国家事業」である。その時の瞬間的な「感情」で無責任に決めていい軽い問題ではない。あくまで科学的、論理的に決定されるべきである。