橘玲の日々刻々 2012年10月20日

[橘玲の日々刻々]
週刊朝日は謝罪すべきではなかったし、連載を続けるべきだった

 出版の世界の片隅にいる者として、ノンフィクション作家・佐野眞一氏が『週刊朝日』に書いた「ハシシタ 奴の本性」と、その後の出版社の対応について思うことを述べておきたい。

 いまから20年ちかく前のことだが、私はその頃小さな出版社に勤めていて、屠場労組の主催する糾弾の場に出たことがある。当時の糾弾というのは、十数社の新聞社・出版社の幹部や編集責任者が一堂に集められ、100人あまりの組合員の前で差別表現を謝罪するというものだった。

 典型的な差別表現は「士農工商」「屠殺」「屠所に引かれる羊のように」で、こうした言葉を注釈なしに使った出版社は「差別に対する意識が足りない」として謝罪を迫られた。このとき会場を埋め尽くした組合員から、「お前は踏まれた者の痛みを知っているのか!」などと怒号を浴びるのが“糾弾”の由来だ(もっともこうした糾弾は70年代がもっとも激しく、私が参加したときはかなり形骸化していた)。

 これらがなぜが差別表現になるのか理解できないひともいるだろうからすこし説明しておきたい。その時の屠場労組の説明は、次のようなものだった。
士農工商:江戸時代の身分制は“穢多非人”という被差別階層を前提に成立していたのだから、歴史学の研究ならともかく、現代の階級社会の比喩として使うべきではない。
屠殺:“屠る”というのは人間の生命のために動物の生命を犠牲にする聖なる行為で、「屠殺」のように、そこに“殺す”という否定的な単語を組み合わせるのは生き物を屠る聖なる職業に対する差別意識の現われだ。
屠所に引かれる羊のように:イザヤ書に出てくる言葉だというが、誰でも羊がかわいそうで屠人は残酷だと思うにちがいないのだから、差別的な歴史表現を安易に比喩として使ってはならない(こうして「ドナドナ」は歌えなくなった)。

 こうした主張はその後、「言葉狩り」として批判されるようになるが、ここではそれについては論評しない。

 糾弾という「儀式」の特徴は、出版社(と書き手)が無意識のうちに差別表現を使用して、それを指摘されて謝罪することだ。これはフロイト的な理屈でもあって、「無意識の差別意識を糾弾によって意識化することで、社会の矛盾や自らの差別意識とはじめて向き合うことができる」とされていた。

 ところがメディア側は、このことを「うっかり差別表現を使うとヒドい目にあう」と学習し、「差別だと指摘されたら即座に謝罪し、絶版・回収する」のが常識になった。これが、メディア側の自主規制だ。

 私はこうした対応には批判的だが、謝罪するのも、絶版・回収するのも著者と出版社の自由ではある。だがこれは、著者も出版社もそれが差別表現だとは知らなかった、ということが前提になってはじめて成立する話だ。知らずに書いてしまって、指摘によって今はそれが間違っていたとわかったからこそ謝罪するのだ。

 ところが佐野眞一氏の「ハシシタ 奴の本性」は、こうした過去の差別問題とはまったくちがう。それは佐野氏が、絶対的な確信のもとに書いているからだ。

 佐野氏は、「一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない」と書く。

 もちろん佐野氏は、この記事によってどのような事態が起きるかも正確に予想していた。

 オレの身元調査までするのか。橋下はそう言って、自分に刃向かう者と見るや生来の攻撃的な本性をむき出しにするかもしれない。そして、いつもの通りツイッターで口汚い言葉を連発しながら、聞き分けのない幼児のようにわめき散らすかもしれない。

 だが、平成の坂本龍馬を気取って“維新八策”なるマニュフェストを掲げ、この国の将来の舵取りをしようとする男に、それくらい調べられる覚悟がなければ、そもそも総理を目指そうとすること自体笑止千万である。

 それがイヤなら、とっとと元のタレント弁護士に戻ることである。

 当然のことながら、『週刊朝日』編集部もこうした認識は共有していたはずだ。

『週刊朝日』編集部は、表紙に橋下市長の顔写真を大きく掲載し、大々的に新聞広告まで打って、佐野氏の記事を世に問うた。そして予想していたとおり、橋下市長から激しい反発と批判を浴びた。だったらなぜ、ここで謝罪して連載を中止するのか?

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 <執筆・ 橘 玲(たちばな あきら)>

 作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 究極の資産運用編』『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 至高の銀行・証券編』(以上ダイヤモンド社)などがある。ザイ・オンラインとの共同サイト『橘玲の海外投資の歩き方』にて、お金、投資についての考え方を連載中。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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