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めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編

シュンペーターが銀行頭取に就任
学界から金融界へ――

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第48回】 2009年8月5日
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 グラーツ大学教授に帰任していたシュンペーターに、ウィーンから銀行経営者へ転じる話が舞い込んだのは1921年春である。オーストリア経済が危殆に瀕していた時期だ。戦後不況にハイパーインフレーションが襲い、社会民主党の社会化政策は失敗し、打つ手がなくなっていたのである。

 オーストリアの戦後経済危機は、けっきょくシュンペーターの主張どおり、外国からの借款とサンジェルマン条約による戦時賠償金の減額措置で救われることになるのだが、それはもう少しあとのことである。

 シュンペーターはグラーツ大学で1920年の夏学期(4月-9月)と冬学期(10月-1921年3月)を過ごしていた。グラーツでひっそり暮らしていたかというと、そうでもない。頻繁にウィーンへ出かけていたという。また、ベルリンのドイツ第2次社会化委員会に名前を連ねていたから、レーデラーやヒルファーディンクと連絡を取っていたかもしれない。

 そして1921年7月、いささか唐突にウィーンのビーダーマン銀行(M.L.Biedermann Bank)頭取に就任する。学界、政界、学界、金融界へ、シュンペーターの冒険は意外な展開を迎えた。

 ビーダーマン銀行時代についての資料はほとんどない。1921年7月から1924年9月までが頭取在任期間だから3年2か月間である。けっして短期間ではない。しかし、シュンペーター自身は何も書き残していない。

 ロバート・アレン先生(Robert Loaring Allen 1921-1991)とハーバード大学のトマス・マクロウ先生(Thomas K. McCraw 1940-)によるシュンペーターの評伝がややくわしくこの時期を記録している(★注1)。

 とくにアレン先生は、評伝の取材当時(1980年代)、存命していたシュンペーターの周囲の人々へのインタビューによって材料を集めている。以下、ビーダーマン銀行とシュンペーターに関する情報はこの2冊の評伝から引用する。

なぜシュンペーターは
銀行頭取に就任したのか

 ビーダーマン銀行の前身は、ミヒャエル・ラザール・ビーダーマン(Michael Lazar Biedermann)によって1792年にブラチスラヴァ(スロヴァキア)で創業されている。当地ではもっとも古い商業銀行だ。オーストリア帝国最初の鉄道建設は、ロスチャイルドとともにビーダーマン銀行がファイナンスしたのだそうだ(McCraw,2007)。

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編

「経済成長の起動力は企業家によるイノベーションにある」とする独創的な理論を構築したシュンペーターの発想の冒険行を、100年前のウィーンから辿る知の旅行記。

「めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編」

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