そもそも大阪府庁舎移転議論が
大阪維新の会を産み出した

「ふざけたことを言うな!」とお叱りを受けるかもしれないが、大阪府庁舎が橋下徹氏率いる「日本維新の会」を産み出したと言える。

 より正確に表現すると、老朽化した大阪府庁舎の問題がきっかけとなって、「大阪維新の会」が結成され、大阪都構想の具体化につながった。その流れが国政政党「日本維新の会」を誕生させたのである。その経緯をざっと説明しよう。

 タレント弁護士だった橋下徹氏が大阪府知事に就任したのは、2008年1月のこと。自民党と公明党の推薦を受けて当選した。

 当時の大阪府は財政危機など様々な難問に直面していたが、その1つに大阪府庁舎の建て替え問題があった。1926年に造られた府庁舎は重厚な建物ながら老朽化が進み、ボロボロになっていた。耐震性にも難があり、もはや限界だった。このため、前知事時代に現在地で建て替えるとの方針が示されていた。

 これに異を唱えたのが、橋下新知事だった。建て替え費用や工期、さらには将来を見越した地域戦略などから府庁舎の移転を主張したのである。移転先として白羽の矢を立てたのが、大阪市がベイエリアに建設した超高層ビル、ワールドトレードセンター(WTC)だった。

 現在地で庁舎を建て替えるよりも低コストで済み、しかも、いつでも転居できる。スペースも充分あり、将来は大阪のみならず関西圏の一大拠点になるとアピールした。

 一方、WTCを所有する大阪市の第三セクターは経営破綻し、ビルの買い手を必死になって探していた。しかし、このご時世である。巨大物件を購入したいという話はなく、天を仰ぐ日々が続いていた。

 それだけに、WTCへの府庁移転は大阪市にとっても願ってもない話だった。まさに、大阪府と大阪市が「ウィン・ウィン」の関係になるものだった。