株主優待でおなじみ桐谷さんが株で4億円を築くまで(7)リーマンショックでの大損が優待名人を生んだ奇跡桐谷広人氏(撮影:山本祐之) 手に持っているのは噂の「優待財布」

株主優待名人として人気の桐谷広人さん。そんな桐谷さんの株の入門書が日本株版と米国株版が2冊同時に発売され、好評発売中です。今のような株主優待生活を始めたきかっけは、なんとリーマンショックという桐谷さん。初めて買った優待株エピソードも。

優待での貧乏生活が面白がられテレビ出演に

――リーマンショックでの資産激減で、生活が一変しましたか?

桐谷さん:リーマンショックの時に、信用取引で大損したんですけども、優待株はたくさん持っていたんで優待品は届くんです。それで、「よし、この優待券とか優待品で何とか生き延びよう!」と思って、全然お金を使わない生活をね、数年間続けたんです。若いときに貧乏暮らしをしていたのも良かったですね。すぐに貧乏暮らしに戻れました。

 家賃は当時13万円ぐらいのところに住んでましたので、それは配当金を充てまして。配当金と株を売ったりなんかもしながら、毎月13万円の家賃や公共料金を何とか払ってました。でも、生活費はほとんどないんで、生活は優待でまかなったんです。それまで電車に乗ってたのですが、電車賃の百何十円ももったいないから、東京都内は全部自転車で行くようにしました。

 本当に貧乏生活をしていたら、たまたまテレビに出て、それが面白がられて取り上げられてね、まあ、人間万事、塞翁が馬だなと思いました(笑)。

株主優待でおなじみ桐谷さんが株で4億円を築くまで(7)リーマンショックでの大損が優待名人を生んだ奇跡優待のおかげで有名になり、人気バラエティ番組「月曜から夜ふかし」ではラスベガスにもロケで行った。

――なるほど。まさに優待に助けられたわけですね。

桐谷さん:その前から優待株は持っていたんですけども、別に優待で生活していたわけではなかったんですよ。優待はあるけれども、現金で生活してたので。

 私がテレビに出るきっかけになったのは、ある女の子のブログにコメントを書いたら、会いたいと言うんで、新宿の改札口で会ったんです。若い女の子だったので、優待ではないのですが、かに道楽でご馳走したんですね。結局、その女の子がテレビで紹介してくれたのが、テレビに出るきっかけになりました。だから、人に親切にしているといいことがあるな、ということも感じていますね。

 リーマンショック以降、ひたすら優待株ばかり買い集めましたね。私が自転車に乗って優待を使いまくって、その後に優待ブームが来ました。私が優待投資を広めたようなところもありますけれども、優待株がどんどん上がりました。そして資産も回復した。だから自分の人生はなんかこう、優待に助けられたようなところがありますね。だから、私以外の人にも、余っているお金が数万円あったら、とりあえず優待株をひとつ買ってみるということをオススメしています。

――最初に買われた優待株は何ですか。

桐谷さん:最初はですね、バブルの時代に日活という株を買ったんです。あの、映画会社の日活です。当時はインターネットもないし、株主優待について詳しい説明してくれるところがなかったんです。で、会社四季報を見たら、優待一覧というのが載っていて。

 今は数万円から優待株がありますけれども、当時は1000株単位なんでですね。だいたい株を買うには最低でも30万円とか、40万円必要だったんです。日活という株は、30数万円で株主になるとね、映画の優待券が、毎月1枚くらいくるっていうんで、「ああ、映画が毎月観られるならいいな」と思ってね。それで株主になったんですね。

 当時株主になるには名義書き換えしないといけないんで、お金払って名義書き換えして、自分の名義にして、何ヵ月後かに優待券がくるんです。けれども、優待券が届いたら、優待券では、日活の直営館でしか観られないんです。日活の映画は東京中どこでも上映しているけども、直営館でなきゃ観られない(笑)。調べたら直営館がないんですね、東京23区内に。

 だから、観に行けないわけですよ。電車賃の方が高いから。で、結局、優待はいただいたけども、実際、説明書読んだら使えなかったっていうのが、一番最初の優待でしたね。

――昔は事前に細かいことがわからなかったんですね。

桐谷さん:今はインターネットで、例えば、映画会社の優待券っていったら、どこに映画館があるか、もう一目瞭然だし、また、四季報を見て会社に電話してもね、だいたい優待担当の人っていうのがいて、詳しく教えてくれるんです。当時は、株主に対して、優待に限らず、株のことを説明してくれる部署もなかったです。バブルの時代は、「勝手に値上がりで儲けてください」という会社が多かった。

 日活は映画を観ようと思って買ったら、観られるところがなかったので、しょうがないと思って売りました。売ったらすぐ倒産したんで、「ああ、観られる優待がなくて良かった」って思いましたね。逆に新宿あたりで優待券で映画が観られて、株を売らなかったから、30数万円で買った株券が紙切れになって、被害を受けているところだったです。だから、初めての優待で良かったのか悪かったのか、まあ、見られるところがなかったんで、すぐ売却したという、それが初めての優待株の投資でした。

(最終回の第8回は、優待の楽しさ、メリットを語る!)

<桐谷さんの人生逆転エピソードはYouTubeでも公開中>【桐谷さん激白①】昔は極貧だった!?見習い棋士時代の苦労秘話/究極の優待投資家になるまで

桐谷広人
1949年10月15日、広島県竹原市生まれ。365日株主優待と配当で生計を立てる投資家。プロ棋士七段。バブル絶頂期の1984年に株を始め、バブル崩壊やITバブル、リーマンショックなど相場の浮き沈みを経験。資産は4億円目前。近著に『一番売れてる月刊マネー誌ザイと作った桐谷さんの株入門』『一番売れてる月刊マネー誌ザイと作った桐谷さんの米国株入門』の2冊が好評発売中。