北京の1号店出店予定地は、古い繊維工場の跡地でした。まわりには、まだ古い工場が建ち並んでいました。工場がなくなってしまったために、失業してしまった人が近隣にたくさん住んでいました。

 目の前の道路は片側1車線、舗装もされておらず、ロバが闊歩していました。どうしてこんなところに出店するのか、と中国人ですら驚くような場所でした(あれから15年経った今ではすっかり変わって、一大商業地になっています)。

スタッフの採用からして苦難の連続

 店舗のスタッフは中国の人たちです。まずは、地元で採用活動から行わなければなりませんでした。ここでも苦労しました。採用の面接では、できないこともできる、と言う中国人が山のようにいました。 

 また、採用が終わって驚くべきことがわかりました。中国では、お店の側が挨拶をする、という習慣がなかったのです。挨拶どころか、他人に笑顔を見せることすらしない。私たちは、礼儀の基本から教育しなければなりませんでした。

 せっかく採用した人材が、挨拶などやりたくない、とすぐに辞めてしまうことも珍しくありませんでした。その数は最終的に数百人規模にのぼり、新たな採用活動を行わなければなりませんでした。

 やっとの思いで開業を果たした後も、売上げが思うように立ったのは開店から数日だけでした。その後は、売上げ目標のわずか2割、3割にしか達しない、どん底の日々が続きました。初年度は、巨額の赤字を計上することになってしまったのです。