DaiGo氏の差別発言を批判する人々にも感じる、歪んだ生存権の理解とは写真はイメージです Photo:PIXTA

先日のメンタリストDaiGo氏による路上生活者らへの差別的な発言は、センセーショナルなものだった。しかし、筆者にとっては、特別驚きもなかった。DaiGo氏だけでなく社会から、日常的に、低所得者に向けられる眼差しそのもので、もはや見慣れたものだったからだ。彼の発言は、この日本社会が長年やり残した宿題が露呈したもののように私の目には映った。間接的に、排除に加担し、誰かを追い詰める可能性は、誰にでもあるのではないか。(フリーライター ヒオカ)

2年前の東京での豪雨災害、
「野宿者排除」の書き込みがあふれた

 2019年10月12日、当時過去最大級ともいわれた超大型台風19号が関東地方を通過した。その際、東京都台東区が設置した自主避難所を訪れた野宿者が、受け入れを断られるという問題が発生した。

 室内にいても、暴風雨の音で目が覚めるような悪天候。外にいれば命の危険があるのは明白だった。そんな危機的状況でも、野宿者は区内に住民票がない、という理由で追い返されてしまったのだ。

 さらにショッキングだったのが、ネット世論だった。「税金を払っていないのだから、支援を受けられなくて当然」「ホームレスを選んだとは、そういうことも覚悟するということ」などの声。

 さらに受け入れを拒否した職員の対応をSNSで非難する人たちに対しては、「批判する人は自分の家で保護できるのか。そうじゃないなら批判するな」「臭気にたえられないくせに、キレイゴトをいうな」といった趣旨のリプライがつき、大量の「いいね」がついていた。

 それらの声は、ネット上の露悪的な振る舞いではなく、建前という皮をはいだ生々しい本音のように感じられた。普段は口に出さない本音は、有事にあらわになる。

  2年前、ネット上では野宿者へのバッシングであふれていたが、今回のDaiGo氏による「ホームレスの命はどうでもいい」「生活保護の人たちに食わせる金があるんだったら猫を救って」といった発言は批判されている。これは社会的弱者といわれる人たちへの理解が深まったからだろうか?私はそうとは思えない。