いまや唯一のPHS事業者となったウィルコム(旧DDIポケット)が最後の決断を迫られている。かつてKDDIから分離独立する際には、100人以上の社員がKDDIには戻らず、自らの意思でとどまった。だが、その後は携帯電話の激しい猛追により、失速していく。気骨があったサムライ通信事業者はどうなるのか。

 あの稲盛氏が宿敵に対し、頭を下げた──。

 2008年11月、京セラの稲盛和夫名誉会長は、NTTの本社に赴いて、NTT持株会社の三浦惺社長と極秘裏に“トップ会談”を持った。随行したのは、ウィルコムの喜久川政樹社長(当時。現取締役副会長)。稲盛会長は、KDDIの創設者であり、ウィルコムの取締役最高顧問も兼ねる“総大将”として大手町に乗り込んだ。

 ウィルコムは、04年にKDDIから分離独立を果たした後は、米投資ファンドのカーライル・グループの傘下に入る。だが、世界的な金融危機による株式市場の冷え込みで、07年に予定していた株式公開の時機を逸してしまった。

 加えて、当初はPHSが先行していた「データ通信の定額制」や「24時間通話無料」の領域で携帯電話会社に追い上げられて優位性が薄れた。結果、携帯電話に加入者を奪われ、PHS単体での将来展望が描きづらくなっていた。

 このトップ会談で話されたのは、NTTグループ内で長距離・国際事業を担うNTTコミュニケーションズ(Nコム)に「増資を引き受けてほしい」というお願いだった。ウィルコムは、Nコムに大株主になってもらえれば、旧電電公社(現NTT)が開発したPHSという“純国産技術”の命運を絶つことなく、次世代PHSに注力できると考えていた。

 というのも、過去にNコムは、NTTグループの企業でありながら、既存の通信インフラとは別のインフラ(固定通信網と移動体通信網の連携)を構築することを目指して“脱NTT”を模索した時期があり、モバイルではウィルコムと組んだ。その後も、両社の良好な提携関係は続き、Nコムからウィルコムに毎年2人程度の社員を派遣するなどしていた。

 だが、稲盛会長といえば、1984年に私財を投げ打って旧第二電電(現KDDI)を立ち上げた反NTTの急先鋒であり、NTTに対してガチンコの“真っ向勝負”を挑んだサムライ実業家である。NTTにとっては宿敵だ。