青山 もともと「渋谷のミニシアター再生」というのが研究テーマで、劇場ではない空間で映画を上映する“フリースタイル上映”を思いついたのです。観客が能動的に映画を支援する興行形態で、K.I.T.のクラスの仲間に提案したら賛同者がたくさん出てきて、実際のプロジェクトとして稼働し始めた。そんなこともK.I.T.に来なければできなかった。

河尻 もはやコンテンツは人と離して発想できないのでしょう。良質なコンテンツを提供しさえすれば人が集まってくれた時代は終わり、今はコミュニティの文脈を捉え、参加のトリガーをコンテンツに仕込まないとうまくいかないケースが多いのですが、従来型のビジネス発想では、これがなかなか難しくもある。その意味で、いろいろ制約のある企業と違って、学校は“フューチャー”をポジティブに模索し、研究と実践の橋渡しをするのに適した場所だと思います。それにしてもK.I.T.学内でのネットワーキングの力はすごいですね。

松井 私の専攻では、基本的に法律や判例の勉強が主だったのですが、実際にあった事例をケーススタディーに、皆でディスカッションを行う講義は新鮮でしたね。ある問題に対して、営業の立場から考える人もいれば、知財の立場から考える人もいる。さまざまな立場の人たちが参加した課題解決へのプロセスは本当に刺激的でした。

 社会人大学院では講義も大切だが、教員や同窓生とのネットワーク作りも重要となる。人との出会いが自身のビジネスにつながる院生も多く、特にメディア業界においては、人的ネットワーク作りは生涯の財産となる。K.I.T.は実務家が多い教員との距離も近く、修了後も師弟関係をキープしながら相談をするケースも多い。

仕事との両立は大変だが、
将来に向けて得るものは大きい

河尻 ところで、仕事との両立は大変だったのでは?

松井 どうしても出張の多い仕事なので、常に東京にいるわけではありません。私はスケジュール管理が大変でした。講義を受けながら、論文も書かなければならず、体力的に大きな負担が掛かりましたが、“必ず1年で修了する”という目標がモチベーションになっていました。入学当初、著作権のことなど何も知らない“素人”同然でしたが、ゼミの担当教授の市村直也先生には徹底的に知識を教え込まれました。今になって振り返ると、大変だった分、得るものは大きかったと思います。

青山 私の場合、仕事のない土曜日に講義を集中させたのですが、課題もあり金曜日の夜は必ず徹夜になりました。でもメールをするとクラスの仲間も起きている(笑)。時間と体力の勝負です。もっとも途中からは、学ぶことが多いため、K.I.T.を“外部記憶装置”として使おうと決めました。わからないことは誰かに聞けばいい。とても便利で効率的です。今もそういうふうにK.I.T.を使わせてもらっています。

 K.I.T.では、1年間4期というクォーター制を導入。基本事項から応用・専門事項への積み上げ式の学習を、短期間で体系的・効率的に可能とするカリキュラムを用意している。キャンパスは交通の便がよい虎ノ門。社会人が通いやすいよう、平日夜間・土日昼夜に開講し、最短1年間で修士の学位が取得可能となっている。

河尻 今後の個人的なキャリアプランについて教えてください。

青山 K.I.T.で培ったソーシャルプロジェクトの活動を広げていきたいと考えています。いま具体的に取り組んでいるのは、「廃館した映画館の再生プロジェクト」。いわば映画館の“星野リゾート”版。各地で展開して新しい映画文化を創って行きたいと思っています。

松井 映像コンテンツの権利関係を曖昧にした結果、英国で放送できた番組が日本では放送できなかったり、将来的な2次利用ができないことも考えられます。どのプラットフォームに流すのかも重要な検討課題です。新たな視聴デバイスも次々に生まれてきています。なので、私はとにかく知財に強い人間になりたい。営業もできて知財の知識も豊富にある。その分野で自分の存在感を出していきたいと考えています。

河尻 言うなれば「学び2・0」といったことを体験できる環境なのかもしれません。社会の変化が早いぶん、社会人であっても生涯なんらかの形で勉強を続ける必要がある時代だと思いますが、そのためには、「学びに対する発想やその場のあり方」も変えていく必要があるのでしょう。もちろん、何かを習得するのは簡単ではないですが、K.I.T.は多様な経歴や価値観を持つ社会人が集まることでモチベーションが高まったり、自然とコラボレーションも生まれる未来志向の“学び舎”になっているようですね。これからのご活躍を期待しています。本日はありがとうございました。

K.I.Tには目的意識の強いビジネスパーソンが集まる、というのが一致した意見