元マイクロソフト日本法人の会長で現在は慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の古川享さんをホストに迎えて、古川さんが日本を変えていく存在と期待を寄せるスマート・ウーマンの方たちとの対談を掲載しています。今回は、ネットのベンチャー企業の先駆けで、ネットPR支援サービス「News2uリリース」「News2u電子社内報」ニュースリリースポータル「News2u.net」を運営する株式会社ニューズ・ツー・ユーの神原弥奈子さんの登場です。広島で大きな造船所を経営されている父親の背中を見ながら育った神原さんですが、その父から離れる手段が起業だったとのこと。

父親を説得するために起業?!

古川享(以下古川) 神原さんは、大学で哲学を学ばれて、大学院を修了後に会社を設立したという、面白い経歴をもっていらっしゃいますね。当時は今のようにベンチャーや起業がもてはやされる前でしたが就職せずに会社を設立したのはなぜですか?

「ビジネス経験のない起業家を育てたのは、クライアントと父の存在」(ニューズ・ツー・ユー・神原弥奈子)――元MS日本法人会長古川享が聞き出す 今を駆けるスマート・ウーマンの本音かんばら・みなこ/1993年学習院大学大学院修士課程修了。同年株式会社カプスを設立。エンタテイメントからITまで、幅広いジャンルのコンテンツの企画・制作に携わる。2001年株式会社ニューズ・ツー・ユー設立、代表取締役に就任。2010年ネットPR発想のウェブソリューションを提供する株式会社パンセ設立、代表取締役に就任。著書『宣伝費をネット広報にまわせ』(共著)、『マーケティングとPRの実践ネット戦略』(監修)、『ウェブPR力』(監修)など。
Photo by Sam Furukawa

神原弥奈子(以下神原) やりたいことがあったというよりは、故郷の広島に戻りたくなかったのが正直なところです(笑)。

 大学で初めて東京で暮らすようになり、田舎には戻りたくなくなったのです。女性が25歳を過ぎると「クリスマスを過ぎたクリスマスケーキ」(=売れ残り)と言われていた頃です。「女なのに大学院を出た」というようなことを言う父親だったので、25歳まで、東京でがんばれば諦めてくれるかなと考えていました。その手段の一つが起業だったのです。

 経営者一家だったので、事業を興したいという気持ちは受け入れてくれるのではないかと考えていました。当時アルバイトで、企業の広報誌の制作やマーケティングなどをし始めていたので、そういうスキルを身につけることで、将来、家業に役立てられるかもしれないというような内容の長い手紙を父に書きました。

古川 なるほど。経営者であるお父様をかなり意識されていたのですね。

神原 東京では父や家業を知っている人はほとんどいませんでした。ここでゼロからビジネスを創り出すことができたことは良かったと思います。

古川 1993年に神原さんが設立した「カプス」は、日本でもかなり初期のウェブの制作会社でしたね。最初の出会いのきっかけになったのが篠田正浩監督の『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』という映画のメイキングのホームページを作っていた頃でした。その映画にマイクロソフトが協賛していて、当時のプロデューサーからの紹介で会いましたね。そのほか、伊丹十三監督のホームページなど、映画関連のサイトを手がけていることが当初は多かった印象です。

神原 当時はインターネットの黎明期でユーザーも少なかった時代です。ネットのコンテンツも個人の発信するものがほとんどで、大勢の人が楽しむことができるものはほとんどありませんでした。私はご縁があって、映画という最高のコンテンツの、これまで知られていなかったメイキングをコンテンツとして、インターネットに持ってくることができました。多くの人に興味を持ってもらえる映画なら、より多くの人にインターネットの魅力や可能性を知ってもらえるのではないか。生意気ですが、面白いものをつくればインターネットユーザーが増えるだろうと思ってやっていました。