サブプライム問題が発生してから1年が過ぎた。混乱は収まるどころか深く広く波及し、米国政府が公的資金投入に追い込まれる可能性は、日々高まりつつある。低所得者層向け住宅ローンとその証券化商品は、ひとつの金融システムの裂け目に過ぎない。そこから噴出したバブルのマグマは内側に溜まりにたまっていた。その構造を解き明かした「投資銀行バブルの終焉―サブプライム問題のメカニズム」(日経BP社刊)は、金融当局首脳ら専門家の間で評価が高い。著者である倉都康行・RPテック代表取締役に聞いた。(聞き手・辻広)

倉都康行
倉都康行(くらつ やすゆき)
RPテック代表取締役。1955年生まれ。東京大学経済学部卒。東京銀行、バンカートラストを経て、チェースマンハッタンへ移籍。チェース証券取締役東京代表を経て、2001年4月に独立、現在に至る。

――サブプライムローン問題の本質とは何か。

 住宅ローンの破綻は表面的な現象であり、その問題が世界中に波及し、今なお混乱が収まらないのは、さまざまな要因が複合し、金融経済システムの内側にマグマとして溜まりに溜まっていたからだ。

――そのマグマとは何か。

 ひとつは、カネそのものだ。加えて、金融取引における緊張感の喪失だ。ブラックマンデー、LTCM危機、ITバブル――混乱のたびに、中央銀行は市場に資金を大量に供給した。市場と金融機関は、すっかりそれに慣れた。鈍磨してしまった。カネはなくならない、いつでも借りられる、いくらでも借りられる、そう信じ込んでしまった。

 それでもメーカーであれば、カネの使途である設備投資にはリスクが伴う。だが、金融機関は運用に対して、あたかもリスクなどないような幻想を抱くようになった。安全確実な金融商品にならば、いつでも換金できる。だから、借金をしてレバレッジをいくら効かせても大丈夫だ――そういう幻想だ。

――住宅ローンの証券化商品も安全確実に見えた、というわけか。

 そうだ。見えた、というか思い込んで、疑わなかった。

 深みにはまったのは、国債や社債であれば、商品性は単純で取引量にも限りがあるが、証券化商品は作ろうと思えば、いくらでも作れたことだ。レバレッジを効かせたくて仕方がない仕方のない金融機関にとって、格好の商品だった。最初の商品は、それでも信用力が高かった。だが、作れば作るほど、商品の信用力は下がる。健全な感覚があれば、住宅価格がいくら上昇していても、失業中だったり、キャッシュフローが回っていない借り手には貸さないものだが、躊躇せずにのめりこんでいってしまった。

――運用能力を上げ、一方でレバレッジを効かせて収益を拡大するというのは、金融機関の当然の行為なのではないか。

 金融は運用である、という常識が、この10年間に定着した。定着しすぎた。実体経済を支え、実体経済とコインの裏表のはずの金融が遊離し、肥大化しすぎたのだ。