「祇園精舎」ってどこ? 意外と知らない『平家物語』を解説Photo:PIXTA

鎌倉時代の軍記物語『平家物語』がテレビアニメ化され注目を集めている。『平家物語』といえば、「祇園精舎の鐘の声」で始まる冒頭文が多くの人に知られている。今回は『平家物語』とはどういう物語なのか、また有名な冒頭文の意外と知らない背景について解説する。(歴史学者 濱田浩一郎)

アニメで注目の『平家物語』
どのように誕生したのか

 2022年1月、フジテレビ系列でアニメ『平家物語』がスタートした。古典として名高い、源平争乱を描いた軍記物語『平家物語』をアニメ化したものだ。また、同じく1月からスタートした大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も平安時代末期から鎌倉時代が舞台となっている。今回は、『平家物語』についてひも解いてみたい。

 そもそも、『平家物語』はどのように誕生したのか。『平家物語』は、平家一門の興亡を活写した物語ということで『平家物語』と呼ばれているが、元来は「治承物語」と称されていたという。

 治承とは、平安時代末の日本の元号である(1177~1181年)。平家政権が確立するも、平家に反発する源氏を中心とする勢力が挙兵し、全国的な内乱(いわゆる治承・寿永の内乱)に突入していく、そうした時代であった。

『平家物語』が当初「治承物語」と呼ばれていたということは、内容が平家の物語というよりは、治承・寿永の内乱を描いたものだったからだろう。『保元物語』や『平治物語』のような、それほど大部ではない軍記物と同種だったと思われる。

「治承物語」は3巻ほどであったようだが、それが次第に増補され、13世紀の中頃には12巻にまで膨れあがった。その間に平家一門の物語や合戦記、説話などが多く付加され、『平家物語』と呼ばれるにふさわしい体裁になったと思われる。13世紀中頃といえば、平家が滅亡した壇ノ浦の戦い(1185年)から半世紀くらいたった頃である。

『平家物語』の作者についても諸説あるが、信濃前司行長という学識ある遁世者(仏門に入った人)という説が有力だ。この行長が『平家物語』を著し、その内容を生仏という盲目の僧侶に教えて語らせたという。行長は、後鳥羽上皇の御前での失態(話す内容を忘れてしまったという)を恥じ、出家。藤原家出身で天台座主(比叡山延暦寺の住職)を務めた慈円に扶持されていた。