15歳の息子を残して、
母と継父は日本に出稼ぎ

 まもなく30歳を迎えるクリスチャンが来日したのは、今から15年ほど前。98年の夏のことだ。彼は、日本人高校生と共に著名な大会に出場する「サッカー留学生」だった。

消えたブラジル人サッカー留学生の行方酒を手に笑顔を浮かべ、タトゥーが彫られた腕を誇らしげに見せるクリスチャン
写真提供:保坂駱駝

 クリスチャンは、ブラジル最大の都市であるサンパウロ市で生まれたスペイン系ブラジル人。身長174センチと、初対面ではそれほど大きいという印象はなかったものの、よく見ると身体全体が引き締まった筋肉で覆われていることに気がつく。天性の運動能力に加え、物心ついてからはずっと「それぐらいしか楽しみがない」サッカーの本場で鍛えられてきた賜物なのだろう。

 クリスチャンの生家は、それほど裕福とはいえない地域の一角にあった。

「スラムではないですけど、金持ちの街でもなかったね。日本でいうなら、浅草とか錦糸町みたいな感じですかね。庶民の街です。ブラジルの都会だと、金持ちが住むエリア以外は治安が悪いのが普通なんですね。子どもの不良もいっぱいいます。日本の不良とは全然違いますよ。小学生でタトゥーを入れているヤツもいれば、拳銃持っているヤツもいる。子どもが銃で人を撃ち殺したなんていう話もありました」

「もちろん、みんながそうだっていうわけじゃないけど、そういうことは日常的にあるという感覚でした。だから、子どもの時に盛り場で遊ぶことなんてなかったですね。家と学校、家とサッカー場の行き来ばかり。それなりにやんちゃな子どもだったけど、あっちではマジメなほうだった。イタズラ好きのサッカー少年でした」

 クリスチャンは、母親が15歳、父親が17歳の時に産まれた子どもだ。

「若いと思う。でも、ブラジルではけっこう普通だと思うよ。10代で結婚して、子どもをつくって家庭を持つ。これ、多い。ブラジルではファミリーが一番大事だから、なるべく早く結婚して自分の家庭を持つのが理想なんです。最近はそうでもないみたいだけど」

 しかし、クリスチャンが小学生の時に両親は離婚。以降は、母親と母方の親戚によって育てられた。

「お父さんはお酒が大好きで。お酒飲むと暴れるようになって……」

 実の父親の話になると、クリスチャンの口数が減った。

「お父さんは、アルコール依存症だったんです。酒で失敗した。普段はすごくやさしくて、子どもの頃は一緒にサッカーボールで遊んでくれた。でも、酒のせいで、周りの人に迷惑ばかりかけるようになって。警察沙汰も何度かありました。その後、お父さんは病院と家を行ったりきたりするようになって。いま、どうしてるのかはわかりません」

 離婚した母親は、しばらく経ってから日系ブラジル人の男性と再婚。継父の外見は、ブラジル人同士の血を引いた自分とは違う「日本人」の顔だった。クリスチャンにとっては新しい父親。しかし、どうしても馬が合わなかった。

「とにかく、おれに対して厳しいんですよ。ちょっとイタズラして、中学校から親に連絡がきたりすると、ものすごく怒られた。暴力はなかったけど、怒鳴りつけるだけで、態度がすごく冷たい。おれのことを嫌いみたいだった。だから、ほとんど口をきかなくなった」

 クリスチャンの継父は、もともと配管工として働いており、母親が再婚した頃は独立して小さな会社を経営していた。しかし、不況の煽りを受け、次第に事業が傾き始め、借金取りが家に押しかけるようになる。そして、困窮したクリスチャンの両親は、日本への出稼ぎを決心する。