なぜ、自ら“幸せな物語”に幕を下ろすのか

 場所を変え、人間関係もリセットして新たな働き口を得ても、長くは続かない状況が続いた。

「有名なクラブでセキュリティやっている黒人なんか大して強くないんですよ。全然怖くない」「六本木では色んな外国人が遊んでますけどね、おれはカネ貯めて、あいつらが来たがるような店を持ちますよ」

 酒を飲むと、彼は威勢のいい言葉を口にした。そうかと思うと、突然弱気な態度に転じることもある。

「何度も迷惑かけちゃって、本当にごめんなさい」「おれ、いつも酒で失敗しちゃうから、もう絶対に飲みません」

 外国人が出入りする大都市の飲食店で働けば、日本社会で外国人として生きる逆境を乗り越えながら地位を確立している者たち、裕福な者たちと接することも少なくない。彼は「いつかのし上がってやろう」という願望と、それを許さない「高い障壁」がそびえ立つ現実との間で苦しんでいるようにも見えた。

 そして、「お母さん……」――。クリスチャンの両親は、ふたたび彼を置いてブラジルに帰国してしまっていた。

 2008年の秋以降、浜松ではブラジル人の急激な流出が目立つようになった。かねてからの不況に加え、リーマン・ショックによってその多くが失職。現在、浜松におけるブラジル人の人口は約1万人とも言われており、ピーク時の半分ほどに減少していた。この流れの中で、クリスチャンの両親も日本を去ることにしていたのだった。

 しばらく連絡を取っていなかった2012年4月半ば、突然の電話が入る。

「やっぱり、日本一のビッグ・シティ、東京でもう一度勝負したいです。また泊まれる部屋をお願いしてもいいですか」

 彼の要望を受け入れると、クリスチャンはすぐにバスでやって来た。「最後の勝負です」などと言っていたが、実際は、名古屋で傷害事件を起こして検察の呼び出しから逃亡していたことを、のちに知ることになる。

 久しぶりに顔を合わせたクリスチャンは、29歳になっていた。不規則な水商売と荒れた生活もあり、自慢の筋肉も、整っていた容姿も、以前より衰えを見せていたものの、その“無邪気さ”は相変わらずだ。

 せっかく採用された青山の高級グリルレストラン&バーを、わずか2週間程度で解雇されてしまう。閉店後に店の酒を無断で拝借し、六本木に繰り出して大暴れ。無賃乗車の末に帰宅し、2日間眠り続け、当たり前のように店を無断欠勤した結果、クビを言い渡されたのだ。

 もう少し、ほんのわずかだけでも頑張ることができれば――。傍目に見ながらいくらそう思ったところで、彼はふたたびループの中へと戻っていく。

 日々の生活が順調であれば順調であるほど、その好調がいつまで続くのかと不安になる。未来への希望が大きければ大きいほど、絶望に陥った姿を想像することができてしまう。そして、自分の手で“幸せの物語”に幕を下ろしてしまうのだ。

 自分が何を求めているのか、目的を見いだせぬ世界でもがき続けて入り込んだ「やめられるならやめたい。それでも、やめられない」というアディクション(嗜癖)。

 現在、クリスチャンはブラジルで生活している。彼のことを気に入った社長が、10年以上帰国しておらず、両親にも会えないでいるクリスチャンを不憫に思い、「一度帰国して、静養するように」と小遣いを渡したのだった。はじめこそ電話も繋がったが、ある時期からそれもなくなった。

 しかし、日本にいた当時から楽しんでいたFacebookの更新は続けている。ブラジルに戻ったクリスチャンの表情は、日本にいた時より暗く見えた。コメント欄には、ポルトガル語で「ブラジルで生きていくことがいかに大変か」と綴られる。15歳で日本にやって来て、サッカーや水商売に夢を見て、アルコール依存症を抱えながら、トラブル三昧の日々を過ごしてきたブラジル人のクリスチャン。

 彼がふたたび、日本で追い求めた夢の続きを見ることはあるのだろうか――。

***

 私たちは今、一本の補助線を引き終えようとしている。それは、「闇の中の現代社会」を照らすための補助線であった。

 補助線を引くことで現れた「あってはならぬもの」は、すでに、そして常に存在してきたものに他ならない。しかし、私たちはその姿を見つめようとせず、また、そもそも、存在そのものを忘れてはいなかっただろうか。

 社会の周縁に確かに存在し、しかし、色を失っているが故に容易に見定めることのできないそれは、私たちの社会が抱える課題を鮮明に示しているようにも思える。どれほど言葉を尽くし、どれほど壮大な想像を巡らせたところで、実際に目にする現実の豊かさには適わない。 浅はかな希望の言葉を聞き入れることよりも、深い絶望に満ちた現実を認めることこそが、現代社会を捉える出発点になる。

 私たちは、これからも補助線を引き続ける必要がある。「あってはならぬもの」が漂白される時代に。


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『漂白される社会』(著 開沼博)

消えたブラジル人サッカー留学生の行方

売春島、偽装結婚、ホームレスギャル、シェアハウスと貧困ビジネス…社会に蔑まれながら、多くの人々を魅了してもきた「あってはならぬもの」たち。彼らは今、かつての猥雑さを「漂白」され、その色を失いつつある。私たちの日常から見えなくなった、あるいは、見て見ぬふりをしている重い現実が突きつけられる。

 

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『漂白される社会』 目次
はじめに

■序章 「周縁的な存在」の中に見える現代社会
闇の中の社会
現代社会とはいかなる社会なのか
「下世話」な存在の先に眠る契機
「周縁的な存在」と「無縁」
網野善彦に描かれた、かつての「無縁」
形を変えて生き残る現代の〈無縁〉
「無縁」の原理を貫く「周縁的な存在」
現代社会の「旅」の中へ

第一部 空間を超えて存在する「あってはならぬもの」たち

■ 第一章 「売春島」の花火の先にある未来
明治以前から売春を生業とする島
国家成長を支える公然のタブー
存亡の危機を迎える「売春島」
摘発と情報化で加速する島の衰退
「裏」の顔を捨てられない島の現実
原発誘致を巡る島民の葛藤、その選択
かつての遊女は最期の訪れを待つ
陰影にまぎれ去る者たち

■ 第二章 「現代の貧困」に漂うホームレスギャル
マクドナルドで眠る二人のホームレスギャル
池袋の少女たち
「移動キャバクラ」の実態
売春論が迎えている変化の特徴
小学生から薬物に明け暮れたリナ
キャバクラ、そしてホストクラブへの入店
「性」と「カネ」で満たされたマイカの人生
日々の顧客情報はノートで管理
わかりやすさが見落とした「現代の貧困」
夜の世界に頼れない二つの理由
わずかなつながりを頼りに今を生き続ける
「あってはならぬもの」が明らかにする社会の真実
二人のホームレスギャルが映し出す「現代社会のあり様」

第二部 戦後社会が作り上げた幻想の正体

■ 第三章 「新しい共同体」シェアハウスに巣食う商才たち
住民の死に直面したシェアハウス経営者
佐藤がシェアハウスの入居を懇願した理由
遺体の引き取りを拒否した遺族
「夜逃げ後処理屋」が営む巧妙なビジネス
遺品整理業の現場
二度目の「漂白」を迎えた佐藤の死
メディアが描くシェアハウス像への強い疑問
ほどよい“群れ具合"が物件運営のカギ
ネズミ講に求める一攫千金の夢
「オフ会ビジネス」に吸い取られるシェアハウスの住民たち
時代が生んだ「新しい共同体」に商才は群がる

■ 第四章 ヤミ金が救済する「グレー」な生活保護受給者
生活保護受給者となった元会社経営者
バブル崩壊で始まった破滅へのカウントダウン
ヤミ金にハマった松下に、ヤミ金が手を差し伸べる
「生活保護受給マニュアル」による過酷な演技指導
申請前から申請後まで、完備された受給情報
業者が斡旋するマンション、その二つの特徴
「純粋な弱者」への期待が見落とした本質
ヤミ金がもたらす「インフォーマルなセーフティネット」
「純粋な弱者」のみが許容される現代社会
「マイホーム」「幸せな家族」という幻想

第三部 性・ギャンブル・ドラッグに映る「周縁的な存在」

■ 第五章 未成年少女を現金化するスカウトマン
女のコの名前を“ポケモン"で管理するスカウトマン
キレイな街で見落とされる現代の「女衒」
未成年少女という「絶対的な聖域」
管理強化が可視化する売春ビジネス
巧妙に進化する“いかがわしさ"の代替機能
敏腕スカウトマンが語る「ビジネスモデル」の実態
情報化が生み出した新事業「援デリ」
細分化された欲望が生み出す市場のすき間
デリヘルのシステムを「援デリ」に応用
「援デリ」に訪れる環境の変化
「絶対的な聖域」があるための不可視性と希少性

■ 第六章 違法ギャンブルに映る運命の虚構
雑居ビルを彩る会員制の闇バカラ
現代の「貴族」が没頭するバカラの魅力
「持つ者はさらに持つ」象徴
「逸脱した存在」が生み出す新たな価値
闇スロットの「小さな逸脱」が人を魅了する
カネを巻き上げる手法は洗練され続ける
“馴染みやすさ"で浸透する野球賭博
熱中させる「ハンデ」の仕組み
胴元が備える絶対的な資金力
重層的な人脈が可能にする摘発逃れ
社会の隅々に浸透する「ギャンブル的な存在」

■ 第七章 「純白の正義」に不可視化される脱法ドラッグの恐怖
「ドラッグ専門家」に手渡された「脱法ハーブ」
ドラッグ吸引が引き起こした壮絶な体験
「違法」の網から逃れた、「合法」余地が拡大
薬物へのレッテルが和らげる恐怖感
「合法」薬物だから安心という「思い込み」
「ドラッグ初心者」にもたらされた変化
「脱法ドラッグ」十年の歴史
「純白の正義」で引かれた補助線の先にあるもの
売人が語る「脱法ハーブ」ビジネスの実態
社会問題ともされないアディクションのループ

第四部 現代社会に消え行く「暴力の残余」

■ 第八章 右翼の彼が、手榴弾を投げたワケ
マンションの一室に集められた「プロジェクトメンバー」
右翼団体代表がWEBサイトの運営を始めた理由
「仁義」「任侠」「絆」、そして「良心」への期待
似非同和で成り立つ「怪しい」ビジネス
力と知恵を併せ持つ者だけが生き残れる時代
右翼団体代表として迎えた絶頂期
“シャバ"は小野を受けいれる「余裕」を失う
右翼になるまでの人生
時代の変化で可視化された虚像の実態
「勢い」を見せつけた先にあるもの

■ 第九章 新左翼・「過激派」の意外な姿
デモの中の「普通の市民」ではない者たち
街中に佇む「過激派」のアジト
組織が高齢化する当然の理由
縮小を迎える「学生運動」と「労働運動」
「社会を変えたい」と活動に参加した高井
若者はなぜ、「過激派」に参加したのか
今も続く「三里塚闘争」の現場
「三里塚闘争」が残した二つの爪痕
見落とされる「正義」の重層性
六十歳の活動家が語る闘争の現在

第五部 「グローバル化」のなかにある「現代日本の際」

■ 第十章 「偽装結婚」で加速する日本のグローバル化
フィリピンを訪れた「新郎」
戸籍を汚して得る「報酬」の決まり方
厳格化するタレントビザの摘発
「偽装結婚」の摘発が進まない理由
「新郎」が語る摘発の実態
グローバル化は今に始まったことではない
二つの貧困で変わる「家族」と「結婚」

■ 第十一章 「高校サッカー・ブラジル人留学生」の十年後
簡易ベッドで眠るブラジル人
サッカー留学生がたどる複雑な生い立ち
十五歳で急遽来日、両親との再会
孤独な寮生活で溜め込むストレス
高校を中退、アルコールに依存する生活
十代後半から水商売を転々と
周囲を魅了し、裏切り、逃げ続ける
再起を賭けてふたたびサッカーの道へ
法改正で急増した浜松のブラジル人
決して逃れられない「負の呪縛」
故郷ブラジルで見続ける日本での夢

■ 第十二章 「中国エステのママ」の来し方、行く末
「豊かで幸せな生活」を求めて来日したチェ・ホア
働かない父親、貧しい環境で育った幼少時代
大学時代に募る日本文化への憧れ
転職先のアパレル企業で社長の愛人となり貯蓄
念願の来日を果たし、日本語学校に入校
「富士そば」ですすったタヌキそばの思い出
「中国エステ」との出合い
仕事で学んだ日本人サラリーマンの本音
「中国エステ」の実態
「中国エステ」は誰が始めたのか
「オニイサン、マッサージいかがですかー?」
摘発の厳格化で進む「オシャレ化」
就職と事業に失敗し、「中国エステのママ」に
五十万円で店を売却した理由
従業員の性的サービスが招いたトラブル
健全店として生き残るために磨かれる技術
できちゃった結婚と離婚、さらに「偽装結婚」へ
規制強化に翻弄されながらも経営は順調
「豊かで幸せな生活」を求めて「カネの奴隷」に

■ 終章 漂白される社会
変化する日本社会が向かう先
「周縁的な存在」と「あってはならぬもの」の正体
十二の旅で見えてきたもの
「安全や信頼」の再構築が放棄される
もはや「客観的な安全」などない
現代社会への問い、その答えの一つ
漂白される社会

おわりに

主要参考文献
索引