ミゼットハウスプレハブ住宅の原点となった「ミゼットハウス」

 その頃、グループ会社の大和団地(後に大和ハウス工業と合併)が民間初のデベロッパーとして大規模分譲地「羽曳野(はびきの)ネオポリス」の開発に着手する。そして、当時としては珍しい土地と住宅のセット販売を行った。とはいえ、当時はまだ土地付き住宅を購入できるほど資金がある人は限られていた。そこで、民間の金融機関と提携して生命保険付き住宅ローンを考案。今でこそ当たり前の住宅ローンのスタイルは、このときが先駆けだった。

阪神・淡路大震災を機に、地震対策が加速

 その後も、住宅市場のニーズを捉えた画期的な商品を次々と発売。また、本格的なリゾート事業への進出、高齢社会を見据えた「シルバーエイジ研究所」の設立など、大和ハウス工業は常に時代の先を読み、新しいことに挑戦してきた。

小林秀明氏大和ハウス工業
総合技術研究所 副所長
小林秀明氏

 これらの事業を創出する上で重要なテーマとなっているのが、「安全・安心」だ。そもそも同社の創業の原点は、台風の被害を見た創業者が、災害に強い住宅づくりを志したことにある。したがって、地震や火災などの災害から人と建物を守るための技術開発には、ひときわ力を注いできた。

 それが実証されたのは、1995年に起きた阪神・淡路大震災だ。被災地で多くの家屋が倒壊するなか、大和ハウス工業の住宅で全壊・半壊したものは皆無だった(※1)。同社では、耐震構造に関するさまざまな技術開発を行い、実装していたのだ。

 阪神・淡路大震災では、建物は倒壊しなかったが、新たな問題も数多く浮上した。総合技術研究所(※2)の小林秀明副所長は説明する。

「建物の倒壊はありませんでしたが、壁のクロスが破けるなどの被害は数多くありました。また、激しい揺れで家具が倒れたことで、被害に遭った方もたくさんおられます。住宅の地震対策は、従来の“壊れない”という視点にプラスして、住む人の“生活を守る”という視点での技術開発が急務となりました」

※1 地殻の変動による損壊を除く
※2 1994年、奈良市に開設。産・官・学と連携を取りながら、「環境共生」を研究開発の基本テーマとし、最先端の建築技術をはじめ多様な分野の研究開発に取り組んでいる