「食べ物の恨みは恐ろしい」と言いますが、江戸時代初期、まさしくその食べ物の恨みで、四万五千七百石の大名家が取り潰された事件があったことをご存知でしょうか?

 原因となった食材は、この季節、身のすみずみまで脂を蓄えた、旨味たっぷりの“寒鰤”です。

師走に最も美味しくなる鰤《ぶり》 <br />寒鰤の旨みが引き起こした福知山城の悲劇鰤の照焼
【材料】鰤…2切/酒…大さじ2/みりん…大さじ2/醤油…大さじ3/胡麻油…小さじ2
【作り方】 ①ポリ袋に酒、みりん、醤油を注ぎ、鰤の切り身を入れ、できるだけ空気を抜いて冷蔵保存する。時々ひっくり返すなど、つけ汁がまんべんなく鰤にしみ込むようにして、30分以上漬ける。②温めたフライパンに胡麻油を引き、1の汁気を切って、中火で焼く。両面が焼けたら残った漬け汁を注ぎ、鰤に絡めながら焼く。

 事の起こりは慶安元年(1648年)の冬のこと。

 丹波国(京都府中部)福知山城に、稲葉紀通《いなばのりみち》という殿様がいました。

 慶長8年(1603年)、伊勢に生まれ、父の死によりわずか5歳で伊勢田丸藩の藩主となった紀道は、大坂夏の陣で功績を立てたものの、その後太平の世が続き、出世の道が断たれたまま22歳の時に淡路守となり、丹波福知山城に転封させられました。

 紀通は、山間の寒く貧しい土地に赴任させられたことを嘆きながら、伊勢にいた頃、毎冬食べていた寒鰤の味を懐かしんでいました。

 どうしても寒鰤を食べたくなった紀通は、隣国である丹後国(京都府北部)の藩主・京極高広に、家来にも食べさせてやりたいからと、鰤を100匹送ってくれるよう頼みます。