新しい環境で、新しい自分を作り上げたかった

一番怖いのは、頭が固まってしまうこと<br />【安藤美冬×本田直之×ジョン・キム】(前編)
本田直之(ほんだ・なおゆき)
レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役社長兼CEO シティバンクなどの外資系企業を経て、バックスグループの経営に参画し、常務取締役としてJASDAQへの上場に導く。現在は、日米のベンチャー企業への投資事業を行うと同時に、少ない労力で多くの成果をあげるためのレバレッジマネジメントのアドバイスを行う。東京、ハワイに拠点を構え、年の半分をハワイで生活するデュアルライフを送っている。著書に、ベストセラーになったレバレッジシリーズをはじめ、『ノマドライフ』(朝日新聞出版)、25万部を超えるベストセラーとなった『面倒くさがりやのあなたがうまくいく55の法則』『ゆるい生き方』『7つの制約にしばられない生き方』(以上、大和書房)『ハワイが教えてくれたこと。』(イースト・プレス)などがある。著書は累計200万部を突破し、韓国、台湾、中国で翻訳版も発売されている。

本田 キムさんは、どんな学生時代だったんですか?

キム 僕は授業は出ていましたよ(笑)。

安藤 だって韓国から国費留学で日本に来られたんですもんね。

キム はい。僕は19歳のときに韓国の高校を卒業して日本に来ました。今でこそ『媚びない人生』の中で「孤独の時間を楽しめ、自分と向き合う時間を大切にせよ」なんて書いているんですが、僕自身、中学、高校と自分自身と向き合ったとき、弱さや未熟さしか自分に見えなかったんです。この社会で生きていくには、自分はあまりにも弱過ぎると思って、とにかく新しい自分をつくり上げたかった。そのためのひとつの選択が、留学だったんです。

 40歳、50歳ぐらいになって人間が成熟していくと、どんな環境でも内面的な意識の転換で、その環境を自分の成長の場にしていくことはできるんですが、当時の僕は自分が環境を変えないと成長できないと思った。とにかく誰も知らない場に自分の身を置いて、そこからゼロからスタートして、新しい自分というものをつくり上げたかったんです。

 日本に向かう飛行機の中で紙を取り出して、今までの自分の中で、捨てたい自分のリストを書きました。そして、こうなりたいリストも書きました。日本へ行くと友達もゼロですし、すべてゼロからスタートします。いろんなものを失った反面、逆にまったく新しい自分を作り出すこともできた。ちょっと背伸びをしても、誰もたぶん気づかないわけです。
 でも、理想を背伸びして演じ続けていると、周りの人はジョン・キムはそういう人なんだなと、自然に受け止める。だから、そう思われるように自分で努力してやっていこうと考えていました。

一番怖いのは、頭が固まってしまうこと<br />【安藤美冬×本田直之×ジョン・キム】(前編)
ジョン・キム(John Kim)
作家。元慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任准教授。韓国生まれ。日本に国費留学。米インディアナ大学博士課程単位取得退学。中央大学博士号取得 (総合政策博士)。ドイツ連邦防衛大学博士研究員、英オックスフォード大学客員上席研究員、米ハーバード大学インターネット社会研究所客員研究員、慶應義 塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構特任助教授等を歴任。アジア、アメリカ、ヨーロッパ等、3大陸5カ国を渡り歩いた経験から生まれた独自の 哲学と生き方論が支持を集める。著書に『媚びない人生』(ダイヤモンド社)、『真夜中の幸福論』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、訳書『ぶれない生 き方』(スティーブ・ピーターズ著 三笠書房)がある。

 大学4年間は授業は一切さぼらず、一番前に座っていました。日本語が当時、あまりできなかったので、日本語を学ぶという意味でも、また先生に対して自分の熱意を見せるためにも、とにかく一番先に来て前に座りました。そして最後に先生が講義を終わり、質問がある人、と言ったとき、とにかく真っ先に手を挙げるということと、指名されたときにいかにすばらしい質問ができるかで、僕は授業から得た価値を測っていました。

 先生の話を理解するだけではないんです。先生の話をいかに鵜呑みにせず、その中から自分自身の問題意識というものを見つけ出すか。それを考えていました。質問をするために僕は講義を聞いていたんですね。受動的に何かを理解するためでなくて、それを一つの材料にし、土台にして、そこから自分の問題意識を見出していました。
 授業に行くと、先生は専門知識がありますし、ときに権威を押し付けようとする。それは、社会に出ても同じですが、そういうときに未熟であっても、自分というものを信じきるということが非常に大切だと僕は思うんです。もし、授業がわからなければ、他の人たちの知より自分の無知というものを大事にする。それを追求してほしいと思います。

 もうひとつ、飛行機の中で決めたのは、20代の10年間は、星は見ないということです。社会、人生というのは海だと僕は思っていました。広い海に投げ出されたとき、力がなければ溺れてしまう。自分の行きたいところに辿り着くには、精神力や強靭な肉体が必要になってくる。そのためには、10年間はやりたいことは徹底的に我慢をする。likeは我慢をして、must、shouldをやろうと。
 それは考える力であったり、感じる力であったり、語る力であったり、自分の判断と責任で行動する行動の力であったり、こうした内面の力を身につけていくことによって、自分が将来、社会に出たときに溺れずに済むと思ったんです。20代の10年間はそうやって凝縮し、30代の10年間で疾走しようと。来年、40歳になるんですが、40代の10年間は疾走と同時に収穫の時期だと位置づけています。

 20代は、徹底的に我慢をして自分を強くすることを心がけましたが、自分にとってそれは、決して犠牲や苦しいことではありませんでした。むしろ、過程自体を楽しんでいました。日本に留学後は、アメリカ、ドイツ、イギリスにも行きました。
 さきほど安藤さんが言われたように、自分自身を新しい環境に置くことで、自分が冷静に見られるし、未知の自分とも出会える。自分が挑戦することによって、自分自身の世界も拡張できるんです。だから、自分自身を簡単に決めつけてはいけない。

 将来の目標を持たないといけない、そこに向かわないといけないという焦りを持つ人も多いようですが、目標に飲み込まれたり、縛られたりして、自分の可能性を削いでしまうことのほうが、僕は心配です。まだ未熟な自分は、これから成長するんですから。
 目標を持ちながらも、柔軟性と軌道修正能力も併せ持つ。そういうマインドを持ってほしいですね。