さらに、日本未来の党が選挙を挟む結党1ヵ月で分裂したように、日本の政党自体が極めて流動的である。このことは、選挙における政党ブランドの価値を更に流動的にさせる。特に、大統領選挙とは異なり、総選挙は議員選挙の予測であるがゆえに、個別の議員の事情を勘案する必要がある。

 具体的な例を挙げると、茨城7区の中村喜四郎氏や広島6区の亀井静香氏といった候補者のように、個別の選挙区で相当の強さを発揮するケースがある。特に中村喜四郎氏は実刑判決による失職を乗り越え、無所属ながら、保守系分裂選挙を勝ち抜く選挙の強さがある。そのような個別の事情が選挙区によってまちまちに存在するため、なかなか統一的なモデルを作ることは難しい。

予測者による影響

 ネイト・シルバーの予測が話題となった一つの要因に、定量的(数理的)なモデルを採用しない伝統的な政治評論家への批判があった。人脈や勘にもとづいて、政治の見通しを述べる評論家はそもそも不要なのではないかという批判である。

 だが、そもそも政治という分野で、完全に客観的な予測が成立すると考えるのは、いささか素朴すぎるきらいがあるとも思われる。政治は議会での形式的な手続きだけで行われるわけではなく、メディアやロビイストといった関係者を含めて、人脈とネットワークを駆使して政治力を発揮し、政策を決定する過程である。その政治に詳しい人が関係者であることはほとんど必然であるため、客観的、第三者的に予測を行うことは難しい。

 この傾向は特にアメリカ政治のように、シンクタンクや評論家やメディアに至るまで、そのスタンスが民主党系、共和党系と分類されるような環境では、自分自身の利害と予測結果との関係が無縁であることは難しいだろう。プロ野球で言えば、特定チーム出身の監督経験者に優勝予想を尋ねるようなものである。そのような場合は、予測をするというよりは、どちらかというと、自身の願望を述べているケースが多い。