
就職についても選択の幅が広い。まず一流大学を出て国家公務員を目指す人は少ない。給料が低く、仕事が面白くないからである。優秀な卒業生は大学院を目指す。ビジネス・スクール、ロー・スクール、メディカル・スクールを経て、企業経営者、弁護士、医師になろうとする。一流のビジネス・スクールの卒業生が全員大企業を目指す訳ではない。コンサルタント会社、投資銀行に人気があるが、すぐに起業する人もいる。選択基準は早く金持ちになれるかどうかである。
アメリカ人は30歳代で一生遊んで暮らせる金を稼ごうとする。そのためには給料の高いところに就職するか、早く起業する。一流大学卒の肩書きは人生の保証にはならない。そもそも一回の就職で一生を安泰に暮らせる人生などあり得ないと考えている。「人生はいつの時代にも自分の力で切り開いて行くものだ」という開拓精神をいまでも持ち続けている。
20年も30年も同じ組織に勤めて、細く長く年金を貰いながら人生を全うするのはアメリカ人の夢ではない。むしろ避けたいシナリオである。もっと早く、自分の力で一生を楽に過ごせる道を模索する。自分の人生を「国家まかせ」「企業まかせ」にしないのである。
アメリカ人の生き方は独立した個人として、そのときの雇用環境に応じて最良の選択をしていくことにある。レイオフが頻繁にあり、一生に何度も転職をする彼らにとって、自分の強みを如何に高く売り込めるかが最大の関心事である。
「何でも屋」のバラバラな経験は履歴にならない。「自分はこの分野で高度な学歴をもち、この分野でこんな仕事に取り組み、こんなに成果を挙げてきた。」「だから自分はこの分野のナンバーワンである」と理路整然と述べる。履歴書は命じられた仕事の記録ではない。履歴書は作るものである。
日本人の閉塞感は日本人の先入観にあるように思う。一流大学を出て、官僚や大企業に勤めるパターンを成功の唯一のシナリオとして描くのはもはや時代遅れである。いまさら既得権益を目指すのも時代遅れである。「この分野のナンバーワンになってやろう」と発想を変えれば、「あなた」独自の世界が開けるはずだ。悶々とした「閉塞感」に悩むぐらいなら、自分の力で切り開いて行ける「あなた」の世界を築くべきである。