孔子先生、いいこと言う。「畏るるに足らざるのみ」というのはまさに私のことだ。尊敬に値しない。自分はからっぽな人間で、からっぽな人生だったと納得した。
 でも、同時にそれはそれでいいんじゃないかとも思えた。

 若い日に希望もあった。希望がかなうように見えることもあった。30代ごろ仕事がめきめきできるような自覚がある反面、自分は実はダメな人間なんじゃないかと不安になり、そこから年を経るにつれ、焦りと失意がつのり、40歳を過ぎて、世間的な地位も名声もない自分を確認した。でも、それはそれでいいんじゃないか。そんな気持ちから匿名でブログを書き始めたのが45歳。

 ブログを書いて何か達成できるとは思わなかった。ブログで一発当ててやるみたいな思いもなかった。が、ちょっと楽しい感じはしたし、楽しい感じがしているときは、自分に合った方向に進んでいるんじゃないかという感覚はあった。
 気がつくとブログを10年近く書いていた。それで何か得られたかというと、ないと思う。大した意味はなかったが、総じて楽しかった。からっぽな人生なりに生きてきたんだなという感慨はあった。その部分、つまり、ブログの裏側の思いはなんとなくブログには書いてこなかった。
 自分がもし本を書くことがあれば、逆にそのあたりを書こうかと思った。
 普通、本を書く人というのは著名な人や、それなりに偉業を遂げた人だ。その成功例から何かを学ぼうということだ。私の場合は、そういうのは何もない。
 たいていの人もそうだろう。若いころ思っていたような希望に挫折して、それなりに運命と折り合って生きていく。
 世間的に社会的に、自分の人生の意味はないとしても、自分の内面から見れば、それなりにある種の手応えのようなものがあれば、それを支えに生きていける。

 そうした、ちょっとうまく言えない人生の支えのようなものを見つけるのに、からっぽに見えた私の人生でも、何かヒントのようなものがあるんじゃないかとも思う。
 偉そうな言い方になって申し訳ない。ブログを10年書いて、そういう部分に近いところを書いたとき、読んでくれるブログの読者は少なくないようにも思えた。