宣伝のために、キャンプの所長が、難民の子どもたちに本を読んでいるところと、医者を夢見る十代の難民の子のひとりが生物学の本を抱えている写真が欲しい。
 ”カクマへの本の支援”という記事を僕の雑誌に掲載して、協力者が誇りを感じられるようにしよう。

その後13年間、少年のことは考えなかった

 ニューヨークへ戻るとすぐに、電話をいくつかかけた。しかし、本の寄付を組織的に行うのは、思ったほど単純ではないことがわかってきた。
 5つの組織の意思決定者を説得し、アメリカとケニアの、いくつかの役所からの許可を得なければならなかったのだ。
 このプロジェクトに何週間か集中して取り組むことができれば、必要な手続きが行えたかもしれない。しかし、その時間はなかった。

 僕もまた、約束をして去ったほかの人と同じように、カクマの少年を失望させてしまったのだ。

 その後13年間、少年のことは考えなかった。雑誌の編集者として、ほかにも取り組むべき企画があり、少年との約束は、気持ちがあるにもかかわらずうまくいかず、やり残したままにしているものの山に埋もれてしまった。

 しかし、2007年、すがすがしい春の朝、少年との約束が僕の良心をチクリと刺した。ワシントンDCで、”ジャーナリズムを通して世界を変える”という講演を、全米から集まった高校生記者たちの前で行なったときのことだ。
 そのとき、ミネソタ州からやって来た少女から質問された。これまで信念をもってやりたいと思ったことで、できなかったことはあるか、と。