戦後初の実質マイナス成長をもたらした
石油ショックの衝撃

 ところが、本書出版の翌1973年10月に第4次中東戦争が起き、アラブ産油国が石油戦略を発動してアラブ敵対国への輸出価格を4倍に引き上げました。これによってインフレが発生し、世界は不況とインフレ(スタグフレーション)に苦しむことになります。これが「石油ショック」です。また、産油国に偏在するエネルギーをどう確保するか、各国の重大な政策課題となりました。

 日本では結果的に石油価格は4倍には引き上げられなかったのですが、「物価が4倍になってモノ不足になる」と人々が予想した時点で大インフレとなり、トイレットペーパーが店頭から消えるパニックになりました。期待インフレ率の上昇によって「現在の物価」が上がったわけです(73年2月に変動相場制へ移行する直前から過剰流動性が発生しており、インフレに火がつく状況だったことが背景にあります)。

 アベノミクス(金融緩和)で期待インフレ率が上がり、まず資産価格のうち株価が上昇していますが、これも同様のメカニズムです。一般的には資産価格の上昇から物価上昇まではかなり長い時間がかかります。80年代後半の日本では資産インフレは一般物価まで波及しませんでした。

 1966年から78年までの日本のGDP実質成長率の推移を見てみましょう。なお、名目成長率と実質成長率の差がインフレ率だと考えてください。
 

世界の「限界」をいち早く予測し、<br />その危機への方策を示した指針の書

 1973年に二桁インフレとなり、74年にインフレ率は18%を超え、ついに戦後初の実質マイナス成長となりました。

 人々は、地球は有限、資源も有限、人口は増え続け、将来は明るくない、と予測しました。いっきょに本書『成長の限界』は現実性をもったのです。その後も、常に忘れてはいけない本だ、と考えられ、本書は多くの研究・調査の基盤となる文献になったのでした。そして人々の脳裏には、「成長の限界」という言葉が現実の危機とともに深く刻みつけられたのです。