現地案内人がこぼした日朝国交正常化への想い

初沢 入国が許可されたので、総聯にお礼を兼ねて挨拶に行ったんですよ。そうしたら、前回と同じ方が僕が渡したイラクの写真集を小脇に抱えて階段を下りてきて、笑顔で「良かったですね」なんて言うんですよ。「バカヤロー、それ本国に送ってないだろ」と思いましたね(笑)。結局、企画書も写真集もまったく送られていませんでした。

開沼 それで、カメラを持ち込めない条件でその先生と一緒に入国したんですか?

現地案内人がこぼした日朝国交正常化への想い <br />北朝鮮報道への不信感で語られない本音とは <br />【写真家・初沢亜利×社会学者・開沼博】『隣人。38度線の北』(徳間書店)より
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初沢 「カメラを持ってくるな」と言われても、普通は忍ばせて持っていきますよね。しかし、10人の団体で平壌市内の決まったコースを観光しながら、こそこそ盗み撮りしても作品にはなりません。「ここは一発賭けに出て、カメラを持たないで行ってやろう!」と、手ぶらというより丸腰に近い心理状態ですよ。撮影地にカメラを持っていかないなんてことは、後にも先にも一度きりだろうと思いながら。カメラがあるのとないのとじゃ、まったく心持ちが違うんですよね。かなりリラックスモードで過ごすことができました。向こうでは2人の案内人がついて、夜はひたすら酒を飲んで意見交換をしました。なにしろ、信頼を勝ち取ることだけが1回目の訪朝の目的ですからね。対話の時間にすべてのエネルギーを注ぎ込みました。

開沼 その2人の案内人には特別にガイド料を払うんですか?

初沢 事前に、日本国内にある総聯系の旅行社に一括で払うんですが、その中から出るんじゃないかな?お土産は持っていきます。定番はマイルドセブン。北朝鮮男子はほとんど喫煙者で、日本の煙草は喜ばれます。本国の受け入れ先は旅行社ではなく、外務省の外局に当たる対外文化連絡協会というところで、政府招待という形式で入国しました。招待といってもお金は全部こちらが払っていますけど。

開沼 招待とはいっても、事前に身元の調査などはあるんでしょうね。

初沢 こちらのことは事前に調べていると思います。最終日に、「初沢さん、まさかカメラ持ってこないとは思いませんでした」と案内人から言われました。「バカ言ってんじゃないよ!」と思いましたよ(笑)。酔っぱらった席でしたけど、「次は初沢さんに撮ってもらいたい。カメラを持って1週間でも2週間でもいらしてください」とも。「本当かよ?」と思いましたけどね。

現地案内人がこぼした日朝国交正常化への想い <br />北朝鮮報道への不信感で語られない本音とは <br />【写真家・初沢亜利×社会学者・開沼博】『隣人。38度線の北』(徳間書店)より
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案内人と話をしていると、彼らは本当に日本のメディアに対する不信感が強いんです。彼らから見れば傷ついてきた歴史なんですよ。訪問している時はどんなメディアの人も良いことを言うわけです。でも、日本に帰ると真逆の報道をする。どんな絵もナレーションやキャプション次第ですからね。「何度人間不信になったかわからない」と言っていました。そういう経緯があるから、こちらへの警戒心があるわけで、一朝一夕に信頼関係を構築するのは難しい。時間をかけて徐々に相手の気持ちを解きほぐしていくしかない。辛抱強く正直に、誠実に話し合うなかで、彼らの反応も徐々に変化していったように思います。

開沼 なるほど。信頼関係をつくる努力をすればもっと撮れるものも増えるはずなのに、そこまでする人間がこれまではいなかった。滞在のコストは?

初沢 1週間滞在して30万円です。

開沼 安くはない金額ですよね。北朝鮮に行くための専門旅行会社があるのはよく聞きます。旅行会社を使って行かなかったのはなぜですか?観光目的になってしまうから?

初沢 僕たちも形式は政府招待ですが、内容は観光とあまり変わりません。北朝鮮には簡単には入れないだろうと思われていますが、特定の旅行会社に申請すれば、物書きやカメラマンなどメディア関係者でない限り、実は誰でも入れるんです。あくまで観光目的であれば、地方も含めていろんなところに行くことも可能です。

開沼 日本から北朝鮮に入国するルートは、招待と旅行会社の2つ?

初沢 例えば、デビ夫人やアントニオ猪木のようなVIPの場合は、朝鮮労働党国際部か外務省日本担当が窓口になるかと思われます。それと対文協、国際旅行社。その4つが日本人受け入れ機関で、ヒエラルキーは明確です。担当者はみんな平壌外国語大学日本語学科を卒業していて、必死に日本語を勉強した人たち。基本的には親日家ですよ。日本に対して憧れも理解もあるし、「なんとか国交正常化やりたいんですよね、自分たちが生きているうちに」という嘆きを毎晩のように聞かされました。

 エリートですから平壌出身が多いですね。高校を出て、あえて国交のない日本の言葉を勉強しようとしたわけです。先生からは、「あなたたちの時代には国交正常化もされて、日本の大使館で働くこともできるだろう」という希望を語られて必死に勉強したんですよ。でも現状はまったくの逆で、「あ~、俺たち人生間違っちゃったな」と嘆いていました。

開沼 彼らが日本に憧れる最初のきっかけは何なんでしょうね。今みたいに、外国人を日本ファンにさせるアニメのようなキラーコンテンツがあったわけでもないでしょうし。

初沢 50代の人の中には、植民地時代、自分の父親が日本人と仲が良かった、という話を聞かされた人もいました。その後は抗日教育を受けていますが、「案外、日本人は親切で優しかったよ」と語るような父親だったみたいです。北朝鮮のすべての人が反日感情を持っているわけではないんです。日本との関係を改善するために仕事をしようと大学にまで入って、卒業後は日本から来る人たちの案内をしている。でも、彼らは権力の中枢からはだいぶ下のほうに位置しているわけで、いかんともし難い。彼らなりの人生の悩みですね。

開沼 まあ、そうでしょうね。彼らが頑張って自国の良い部分を見せて仲良くしてもらおうと努力しても、上で行われる外交ではもっとシビアな駆け引きがなされるので、すぐに関係は悪化しまう。案内人と何日間も一緒に動いてみて、彼らが「こういう規則のもとで動け」と政府から縛られているように見えたことはありましたか?

初沢 ここは撮らせていい、ここはダメ、というガイドラインは明確にあるんだと思います。例えば、平壌にある地下道は歩いてもいいけど、撮影はダメというように。でも、グレーゾーンというのは当然あるんですよ。街中でちょっと貧しい身なりの人を撮った時に「消してください」と言われるかどうかは、その場の案内人の判断に委ねられるわけです。

 あと、基本的に撮影目的で地方には行けません。僕が地方での撮影を許されたのは4回目でした。そこの交渉にもっていくのは骨が折れましたね。写真集の構成として平壌半分、地方半分、というのは企画書に書いていたことです。向こうもその前提で入れているとは思いますが、いざとなると首を縦に振らない。1回目~3回目までは平壌だけで我慢して、「ここまできたら地方を撮らせるしかないな」と思わせるところまで穏やかに追い込んでいきました。

 2回目、3回目の帰国後、1度も日本で写真を発表していなかったことで、「初沢さんは本当に写真集のためだけに撮っているのだろう。我々の生活をフェアな視点から伝えようとしている」と徐々にわかってもらえたんだと思います。彼らには、そもそも写真家とカメラマンの区別なんてありません。カメラを持っている人間は何かを暴くために来ているというイメージしかないから、表現のツールとしての写真への理解なんて最初からないんです。それでも何度も話し合うことで、「こういう日本人もいるんだ」と少しずつわかってもらえたんだと思います。

初沢氏との対談最終回となる第3回では、メディアの立ち入りは不可能とされた北朝鮮の地方部で目にした市民の日常が語られる。さらに、北朝鮮報道と震災報道に共通する違和感へと話が深まっていく。次回更新は3月25日(月)を予定。

※対談を記録した動画を下記↓よりご覧いただくことができます。

【ボクタク外伝】開沼博(社会学者)×初沢亜利(写真家)【対談放送】

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