東日本大震災から2年。被災地の復興の歩みは、町によって様々だ。週刊ダイヤモンド3月9日号「特集2 復旧か復興か 震災後2年の試練」に続けて、被災地の歩みを追った。(「週刊ダイヤモンド」編集部 鈴木洋子)

外向き志向で観光客を集客<br />新しい町の魅力共につくる<br />【上】宮城県・女川写真1

 宮城県女川町。家屋の7割が流出し、宮城県内でも最も津波被害が大きかった。その港町には今、町を新たに作り直すための槌音が響く。大きな建設車両がひっきりなしに行き交い、砂埃が舞う。海に面した、かつての観光名所、水産物産館のマリンパルがあったエリアには、高さ10メートルにもなろうかという土が幾重にも積み上がっている。山を削り、嵩上げを行い、新たに住宅地を作るための準備をしているのだ。(写真1)

 災害遺構として残すかどうかがまだ決定していない、横倒しになったままのビル二棟(写真1)を残す以外は、広々とした平らな土地が見渡す限り広がる。

外向き志向で観光客を集客<br />新しい町の魅力共につくる<br />【上】宮城県・女川(写真左)12年8月、(写真右)13年2月

 町の中心街から山側に向かう道には、昨年の3月には“山脈”があった。総量約54万2100トンにも及ぶ町内のガレキの山だ。東京都港区などいくつかの地域で処理を分担したことで、その山はどんどん小さくなり、今年6月には消える予定だ。

 浸水域には水産加工団地などの水産関連施設と、商業地などが建設され、住宅は高台に移転する。最初の工事はすでに始まっており、今年度後半には建物が建てられる状態になるという。新しい町は、少しずつ形になり始めた。

 被災地の多くが、震災前から過疎や人口流出の問題を抱えていた。かつて遠洋漁業基地として栄えたものの、その衰退と共に漁獲量が減り、地場産業の規模が縮小してきた女川も例外ではない。そこに津波が襲った。