「日銀理論」というものがある。簡単にいえば、「日銀はインフレをコントロールできない」というものだ(この意味は後で説明する)。物価の番人である日銀がインフレをコントロールできないことを「理論」というのも奇妙なことだが、厳然としてある。

 これに最も早く異を唱えたのは、今度、日銀副総裁になる岩田規久男氏だ。日本の経済学者の多くが、うすうす変であると思いながらも、日銀の顔色をうかがっているのかどうかわからないが「日銀理論」をまともに批判しない中で、岩田氏は一貫してその姿勢を維持し続けてきた。

 その岩田氏が日銀副総裁になるのだから、日銀内部は上を下への大騒ぎらしい。そうした中で、18日(月)に日銀から発表された人事は多くの人の話題になっている。日銀のエース、プリンスといわれる雨宮正佳氏が大阪支店長から金融政策の立案を担う企画局担当理事に帰ってきた。昨年5月に、大阪支店長になったばかりなので、1年足らずの帰還は異例だ。

 雨宮氏は日銀企画畑が長く、まさしく「日銀理論」の理論的支柱だ。はたして、日銀理論は放棄されるのか、維持されるのか、今後のアベノミスクを占う意味で重要になってくる。そこで、今回は「日銀理論」とその背後にある貨幣数量理論の妥当性を検証してみよう。

日銀は本当にマネーストックを
コントロールできないのか

 さて、日銀理論の歴史を振り返ってみると、岩田氏は、1990年代はじめのバブル潰しのための三重野日銀の金融引き締め策、マネーストック(金融機関の預金残高総計)の急激な低下を問題視した。それに対して、日銀は猛烈に反論し、日銀はマネーストックをコントロールできないと言い張った。

 両者の間で長い論争が行われたが、結局、植田和男・東大教授がマネーストックのコントロールについて「短期的にはできないが、長期的にはできる」と両者の意見を裁定した。なお、日銀は、従来「マネーサプライ」という用語を使っていたが、「サプライ」できないということで、2008年に「マネーストック」と名称変更している。